〔追旨-3〕《その他のさまざまな表現の障害》

 

~性格、認識、楽器条件~

 

表現をする。それは何に対してどういう具合にするのか、ただ盲目的にやってみてもそれらがはっきりしていなければ、闇に向かって下手な鉄砲を数で勝負することになってしまいます。いったい下手な鉄砲を何発撃てば正確に当たることになるでしょうか。私たちの練習そのものが下手な鉄砲であるゆえんは、日本文化でないものまで、日本的感性をあてにし“理屈でない”という、伝統的な考え方を以ってあてはめるところに無理が生じているのではないかと思われます。表現とは声や体を使って、自分の感情を相手に伝える事です。そして、伝える相手の人数、距離、容積など種々の条件を考えなければなりません。

 

〔追旨3-1〕(表現の条件)

 

私たちは一日のほとんどは無言か、相手一人と話しをして過ごしています。23人を相手に会話することは一日の中でもほんの数%の時間でしかないでしょう。そして相手の距離は遠くても23mでしょう。遠くの人と話さなければならない経験は、相手を呼ぶ時など、ほんの瞬間のでき事です。その叫ぶ呼び声も選挙演説などの多人数の人に訴えるような方法ではありません。

楽器は私たちの普段の声と比べてどのくらいの音量が出るのでしょうか、音の小さいクラリネットやフルートの音量を平均的にいっても、声の10倍くらいの音量が出るのではないかと思われますし、ピアノの瞬間的な立ち上がりの衝撃音は想像以上の大きなエネルギーを持っています。そして弦楽器では今にも消えるような小さな音から、場合によっては木管楽器以上と思われるような大きな音までたいへん表情豊かに表現できます。

 

〔追旨3-2(道具と合理性)

 

それらの表情豊かな楽器を演奏するということは、どんな方法でも音が出るというわけにはいきません。楽器は感性や感情を音にするために作られた“まか不思議”なものではなく、人間の不確定な要素を配慮しながら合理的に作られた、人間臭い“道具”なのです。

道具というものは、どんな人がどういうふうに使おうとも、よりよく使えることが理想ですが、使う人の体力、姿勢、場所など、いろいろな条件が予め設定して作られている事を理解しなければなりません。それは単純な道具であるスコップやハンマーでも同じ事がいえます。得てして専門家のものは使いにくいのが常です。金物屋さんで道具を買う時に用途を聞かれる事がよくあります。道具屋さんはそれなりに判断して勧めてはくれますが、決して“一流”のものは勧められませんし、要求しても止められる事がしばしばです。

楽器も全くそれと同じ事がいえると思います。専門家が「よい」といっても、それがはたして演奏の方法も西洋音楽の表現方法の習慣もない、それに伴う体力も無い、すべて未経験の初心者に一流の物が当てはまるものでしょうか。それはレーシングカーやスポーツカーをよい性能だといって、一般の人に勧めているようなものでしょう。草野球チームでもプロのバットやグローブは最初から求めないでしょう。しかしそれらは本人たちが知っているのです。はやる気持ちを前に、目的と本人の適性なども考えなければなりません。楽器には人それぞれの信念や都合もあることですから、ここでその問題にはふれないことにしますが、今一般に使われている楽器の90%近くは、専門家が使ってもある程度納得できる品質です。そのため楽器のよりよい使い方は、まず楽器の性能と西洋音楽の方法に自分を合わせるという努力が、何よりも先に必要なはずです。演奏に必要な体力もない、要領も判らない素人が専門家の道具を使うと、体に合わず方法を誤るか、道具を傷めるかのどちらかになりがちです。(但し楽器という道具は乱暴に扱わない限り、簡単には壊れませんが。)楽器だけが当てはまらないとは考えられません。社会の風潮がそうなっている以上仕方のないことですが、楽器と考えず、一般の道具や用具を使いこなすには、まず何をすべきかを最初に考えるべきでしょう。

 

〔追旨3-3〕(楽器の表現力)

 

ではその楽器という道具の設定とはどういうものか、ということを考えると、一般の道具と同じように最も使いやすい方法と体力と目的があるはずです。先のクラリネットやフルートでも声の10倍程の音量が出ると述べたように、それを私たちが普段話す小さな声量と同じくらいの音量で演奏できるか、ということと、百倍のボリュームでも演奏可能かという問題が出てきます。楽器も道具ですから最も使いやすい、すなわち最も演奏しやすい音量というのがあるはずです。それは平均しても普段の喋り言葉の声量の5倍以上~20倍くらい、と思えばよいでしょう。しかし私たちは5倍の声で喋った経験は無いのです。もしあるとすると口論をした時などかもしれません。

上達できるか否かは別として、呼吸法や演奏に必要な体力の基礎的条件ができている人は、大きな声を出す商売の人、八百屋、魚屋、あるいは先生など、多数の人を相手にする職業の人たちです。その意味では政治家なども適しているのかもしれません。細々とした、か弱い音での表現は西洋音楽にはありませんし、また小さな音量での演奏は最高級難度の技術を要することであるはずです。〈→妙薬17

 

〔追旨3-4〕(人間の声に対する潜在的感性)

 

人間の声を聞く感覚、喋る感覚を改めて考えてみると、とても面白いものを持っていることが判ります。一人に喋る時、3人、5人、10人、30人以上の時等、驚くほど声の調子は違っているものです。(拡声機がある時は不確定になります。) 4050人を相手にしながら、23人を相手にするような喋り方で話されたら眠くなってしまいます。反対に23人なのに4050人を相手にするような喋り方だと、オーバーで聞いていられません。

時々、駅やデパートなどでマイク片手に呼び込みや製品を宣伝販売をしていますが、大勢いれば何とも思いませんが、自分一人しかいないのに大声を出されたり、マイクで話されたりするととても恥ずかしくなるものです。つまり聞いている側も大勢の中の一員として、そのオーバーな喋り方を普通のでき事として聞いているのです。

 

〔追旨3-5〕(表現の設定)

 

一人で小説を読む時には、思考の中でもあまり抑揚はつけませんが、読んで聞かせる時はそれなりの抑揚が必要になります。そして台詞が書いてあるようなものであったら、読んで聞かせるだけでも相当大きな抑揚が必要になります。

私たちは演劇を鑑賞しても分析しながら鑑賞はしませんが、その舞台で行われる芸を、ここで少し覗いてみることにしましょう。

観客を23人とします。その23人のお客が5メートル、そして10メートル離れると、それぞれたいへんな声量と抑揚を持つことになります。しかし怒鳴ることは決してしていないことは理解できるでしょう。もしそれがホールでの上演だと、一番手前の客でも少なくとも78メートル、遠くの人だと7080メートルという場合もあります。お客の数は百名から千名、それらを肉声と演技で説得しなければなりません。演劇の台本は不特定多数のホールなど、広いところで上演される設定で書かれ、または上演場所の設定を予め予期して書いていますが、23人の小さな四畳半の部屋などで上演するように設定される事はないでしょう。演劇の稽古場では耳をつんざく程のオーバーな声と、オーバーな身振りで練習していますが、事情を知らない人が見たら、それはとても不思議な光景に感じられるでしょう。しかし劇場ではそれぞれの距離で演技を鑑賞し、そして大勢の中の一人として鑑賞しているわけですから、鑑賞者は何の違和感もないのです。

私たちがいつも見ているテレビ、そして観賞者の私たちは、テレビから23メートルの事が多いでしょう。そのため、われわれの普段の生活に、演技、声ともに近いのですが、テレビで劇場中継を見ると、オーバーでとても不思議な感じを受けるものです。

 

〔追旨3-6〕(1010メートル)

 

楽器も全く同じ事で、最低でも10メートル離れた10人を相手にするような大きな表現がしやすいようにできていると考えなければなりません。そして観客に嬉しい、悲しい、寂しいをオーバーな“積極的な表現”で訴えなければ、本来の楽器の性能は発揮されないのです。そして台本である楽譜もそのような設定で書かれています。つまり楽器は10倍ほど大きな音を出しながら普通のこととして表現しているのです。それはステレオのボリュームを上げたからといって、静かな表現がフォルテッシモや怒鳴っている風に聞こえないことと同じなのです。

庶民に親しまれた日本の芸の多くは、響きの少ない小さな部屋で行って発展して来たといってよいかもしれませんが、小さな部屋と、少ない人数が相手だと繊細微妙な感情はよく伝わります。(歌舞伎、日本舞踊などは日本の細やかな感情を、大きな舞台で大勢に伝えるための工夫が加わり、現代みられるような独特の動きといい回しに発展したのではないかと推察できます。)

 

本文でも再三述べてきましたが、反対に西洋音楽の楽譜は大胆に書かれていると思って差し障りがないと思います。ですから私たちの習慣であるそれら細やかな感情を出すことは、西洋楽器にとって最も不得意で、最高級難度の表現であることは明らかです。そしてその最高級難度の表現をわれわれは無意識に出そうとしてしまいますが、それが楽器の表現だと勘違いしているのです。

西洋楽器の上達法は、それを改革するための意識と、最も適した方法で演奏するための訓練が必要なのです。専門家は既にその表現ができる意識と体力とコツをつかんでいるはずです。

一人にしか話した事のない人、走るとすぐに息を切らしてしまう人、いつも一人で大人しくポツンと椅子に座っている(内面的にも)消極的な人にその西洋楽器が果たして合うものなのでしょうか。楽器の最初の障害はこれまで述べてきたさまざまな事柄で、音感や音楽性があれば上達できると考えることは、まったく見当違いなことです。楽器は万人が演奏できるようにできていますが、よりよい合理的方法があることを知るべきです。人によって楽器の上達の度合いが大きく違ってくることと、基本的な障害を背負ってしまうのはこの時点なのです。上達したい、させたいのであれば、まずこれらを正すことです。

 

〔追旨3-7〕(できない原因の意外な側面)~ソルフェージュ-1

 

少し専門的になりますが、補足しておきたいと思います。

a) 50100回と練習してできない場合は、単純に指を動かす訓練で解決できない場合が多いものです。それは指の形が楽器に対して機能的な恰好にない(不自然)、指自体にくせがある、また運指の瞬間に力みや指の形などが崩れて不合理な動きになるなどの現象です。これは鏡を使って冷静に分析する必要があります。

 

b) また上記と同じ事ですが、演奏するとき、ブレスして呼気に移ろうとする瞬間に、一瞬腹の力が抜け、(胸式呼吸状態に戻り)腹に力を入れ直している人を多くみかけます。この障害を持っている人は、息が乱れるため正確に息が入らず、そのために立ち上がりの音に失敗が多くなります。(同じく鏡を見て吸気から呼気に転じる瞬間を観察する。)

 

c) 取り組み方にもよりますが、一年二年と楽器を経験すると、90%以上の音形(組み合わせ34音とする。)は既に経験済のはずです。なぜ改めて練習しなければできないかを考える必要があります。その一つには和声進行の違いやリズム形態、すなわち強弱関係や音符の長さの違いなどが考えられますが、特に認知に大きな違いが出てくるのは強弱関係の反転のようです。しかし練習時間の殆どは、曲の進行、リズムや音程などを覚えるための練習に費やしている事が多いものです。また下記の事も確認する必要があります。

 

1.練習した曲だが、声を出して歌う事ができない。(音程がつかめない。)

2.運指のポジション(楽譜上の音)と、自分が想像している音が違った音であった場合。(部分的に音がつかめていない。)

 

上記いずれの場合も、想像と違っていた場合にはいくら復習って(さらって)もできないものです。ゆっくりでも、多少音程にずれがあっても、オクターブ違っていても声を出して目的の楽譜が歌っていけるかを確認する事も必要でしょう。

極端な練習方法ですが、新しい曲を使い、自分の楽器以外の楽器、管弦なら鍵盤楽器などで音程をとりながら何回も歌って曲に慣れ、曲のスピードと音程の‘想像’がテンポに追いついた時に、自分の楽器を持って演奏してみるという興味深い練習方法が考えられます。もちろんその時指を想像している事もあるでしょうが、いずれにしても楽器に触れずに効果的な練習になっているはずですし、練習方法の研究にも大いに役立つはずです。同じく楽譜を眺めて、音楽を想像しているだけでも相当練習になるはずです。また演奏本番前などは一分の時間も惜しんで練習したくなるものです。練習は当日まで「いや」というほどして来たはずですが、不安なため、練習して自らを落とし込むはめになることが意外に多いものです。実際に音を出して練習するよりは、楽譜を眺めて音楽を想像していた方が効果的なことが多いものです。私たちは無闇に練習あるのみと、時間を過ごしていることが多いものです。

 

〔追旨3-8〕(息とポジションの関係)~ソルフェージュ-2

 

音程と深い関係にあるので、述べておきます。

ピアノ、弦楽器はどんな音でも良ければ(音程と)息は関係しません。それに対して吹奏楽器は全音域、奏法が一定(安定)していなければなりませんが、支え、息のスピード、息の圧力などに微細な変化を与え、倍音を出すことを体得していきます。

開管の原理でできている木管楽器は、同じ運指で出る次の音(同じ管長で出る音)はオクターブ上の音です。同じく開管である金管楽器は第2倍音から出るように作られています。

一方閉管であるクラリネットは、上の倍音まで12度(同音を1度と数える)という広い間隔があります。また金管楽器と同じ構造を持つホルンは特殊な構造を持っていて、高次倍音で音が出るように作られています。私たちがホルンの輝かしい音色と想像する近辺の音域は、隣の倍音まで長3度から長2度という狭い間隔です。〈→13図=自然音律表を参照〉他の金管楽器は次の倍音まで5度に対して、木管ではオクターブ、クラリネットでは12度です。

大雑把ないい方ですが、クラリネットでは、例え想像より上下に5度くらい(合計10度)息の入れ方がずれていようと、楽譜上の音が出てしまうでしょう。反対にホルンでは全音(1音)分調整がずれただけでも違った音になってしまうことになります。その意味から、ホルンと比べると木管楽器、中でもクラリネットは随分いい加減な感覚でも音が出てしまうということが、一面ではいえることになります。クラリネットに限らず他の演奏者もホルンを見習うことは必要でしょう。

声を出して音程をつかむ、正しい息を入れる、これらをせずに指を動かしても基本的解決にならない場合が多いのです。

 

障害最後に

 

*馬車馬のごとく練習に明け暮れる時期もあるが、気乗りせず、毎日楽器を眺め途方にくれながらしばし時を過ごし、ため息をつきながら仕方無く楽器に向かうことが続く。

その時期は春秋など割合定期的であったり、また不定期であったりもする。同じくその時は練習だけではなく全ての行動が鈍くなり、全くやる気が出ないものである。気が付くとその症状は以前から続いていて、口内炎ができたりもする。

怠け病のような気もするが、芸術を志す者の多い病である。自分のだらしなさと自戒しなければいけないことだが、その前にビタミンなど栄養の不足を考えてみる必要がある。ビタミンの消費は体質、神経の持ち方によって個人差が多いようである。もう少し早く気が付けば、という私自身の後悔があるので、ついでに記しておく。

これは唯一薬屋で手に入る上達のための対処療法の良薬である。

 

その他の参考文献

渡辺 正雄著 「文化としての近代科学」 丸善株式会社・「科学者とキリスト教」 ブルーバックス

溝辺 国光著 「音楽音響学」 日本楽譜出版社

レオ コフラー著 「呼吸法」・シンフォニア

磯山 雅著 「バロック音楽」 日本放送出版協会

小泉 文夫著 「音楽の根源にあるもの」 青土社

小倉 朗著 「日本の耳」 岩波新書  上田正昭著「帰化人」中公新書

EVERYBODY'S Favorite-Songs (Amsco Music Publishing)

 

プロフィール

1947            東京生まれ。

1973           国立音楽大学卒業(器楽科クラリネット専攻、大橋幸夫氏に師事)

198286   指揮法を黒岩英臣氏に師事。

197499   洗足学園大学音楽学部クラリネット講師。

          横浜市港北区に在住。

☆☆☆

1978より            横浜クラリネットアンサンブル(9種類のクラリネットアンサンブル)を結成.指導.指揮にあたる。

1981                     山梨文化会館に招かれ、“クラリネットと室内楽の夕”を開催、好評を得る。

198284            パリ国立管弦楽団主席クラリネット奏者.ギ.ダンガン氏の公開講座を担当.同氏と共演。

1984より            「クラリネットの為の室内楽」と題し、計8回の演奏会を開催

198586            音楽教室等.オーケストラ、オペラを指揮。

198595            横浜市大倉山記念館主催行事、春、秋の芸術祭、水曜コンサート、「子供の日」 「クリスマス」に独奏、室内楽、クラリネットアンサンブルで毎年数回出演。

198689            ブリマベーラ室内アンサンブルを結成、活動。

198992            アカデモス音楽工房を結成(20名の室内アンサンブル)後にアンサンブル、ベルフィーと改名、各地で演奏。指揮、指導にあたる。

198798            北八ヶ岳白駒池ほとりの(青苔荘)原生林に囲まれた山小屋で秋冬、一風変わった室内楽の演奏会を行っていた。

1992                     聴覚システムを開発。

1997                     聴覚に関する特許出願、同時に国際特許出願。

1998                     聴覚システム専用機を開発、通信教育を開始。

1999                     英語用聴覚システム“マジック・リスニング”を開発、代理店より販売。

2001                     株式会社 傳田聴覚システム研究所を設立、音楽、語学、精神、健康関係に提供

2001                     上記特許を取得。

2002                     通学コースを開設。

2004                     第二世代、聴覚システム専用機を開発、提供開始。現有会員数五千名に達する。「全脳開発システム」発売予定。

 

☆吹奏楽指導☆

 

1976                     県立厚木高校吹奏楽部を指導、全国コンクールに出場(2回)金賞受賞。同校アンサンブルにて県代表.関東コンクール出場.銀賞受賞。

1980                     山梨県甲府南西中学校吹奏楽部を指導。1ヶ月後、県代表。1年後全国コンクールに導く。銀賞受賞。

1993                     山梨県城南中学校吹奏楽部を5回指導し、県代表。

1998より            聴覚システム音楽コース受講者に対して研究会及び、指導を行っている。

その他現在まで各地の吹奏楽を指導、56回というきわめて短期間に実力を発揮させるなど、その効果を確かめている。また弦楽器においては管楽器以上の大きな効果をあげることができ、その即効性が確かめられている。その他市民吹奏楽団の指導を行っている。

 

☆研究、著作☆

1980                     “リードの調整”を編集。500部自費出版。

1989                    日本音響学会に「音楽の現象」―リズムと呼吸の関わり―と題し、心理、生理、言語学的見地から分析した新たな演奏法を発見。資料番号.MA89-2

1989.9                KJ法交流会にて資料3000枚を発表。

8792                 「音楽の妙薬」「音楽の読み薬」「音楽は何語」と題し、合計6回論文にまとめ発表。その後、音楽と原語の関わりについて各地で講演。

1994                    クラリネットとサキソフォンのための「シングルリード調整法」執筆。第4版を発売中、芸術現代社

                                日本音響学会、リズム協会、日本音楽熟成協会理事

 

現在、傳田聴覚システム研究所 所長