第4章《演奏における日本人特有のリズム処理》

 

2章ではわれわれの言語習慣と言葉の特性が聴覚を養うことを、そして前章では横道にそれて日本人に内在する感性と習慣を述べてきました。この4章序節を折り返し点にして、再び2章で扱った言語の問題に視点を変えて「言葉の感情をいかに相手に伝えているか」など、言葉と生理機能の関係を。そして1章で述べたリズムの問題へ帰って「リズムの問題点の分析、発音特性」などを改めて眺めながら旅の後半、そして家路へと向かうことにします。

この4章には呼吸はかかせない問題の一つですが、論点が不明瞭になるため、詳しくは追旨に譲ることにいたします。そして本論に入る前のこの〈序節〉では、これまで述べることができなかった呼吸の心理、言葉の心理、体が語る心理などを検証しますが、これらは人間共通の心理であるとともに、日本人の行動様式の上に養われてきた日本人が共通に持つ潜在的心理も含まれている、ということも念頭において頂きたいと思います。

 

序節〈言葉の心理と音楽心理の共通性〉

.呼吸と息がおよぼす生理と心理

体の動きと心理との関係を一般的にいうと、体を開く、伸びることは解放的な表現を生み、縮むと緊張を生みます。

呼吸との関係をみると、吸気は緊張を生み、呼気は解放。そして呼気は積極的でさまざまな表現をします。また、溜め息は体の自然な動きとともに、吐く事によって安らぎをも生みます。体を持ち上げながら溜め息をしたら落ち着きません。

反対に深呼吸の時に、体を縮めながら呼吸しても解放的にはなりません。深呼吸は体を伸ばす事により体に隙が生まれます。深呼吸は息をしたから気持ちがよいということにとどまらず、物事に対処できない無防備状態にする事に解放を感じている、すなわち無防備になる安心感、緊張を解いた解放感も手伝っているのではないかと思われます。つまり息の如何にかかわらず伸びると解放(と行動の予測)、縮むと緊張を表現し、そこに息の使い方が加わり、言葉も音楽も多様な表情を生み出せるわけです。そして息の量が多い時は解放的な気分に、そして少ない時は緊張になります。ブレスの中心(安静時およそ息を吐き終ったところになる程緊張します(体は縮んでいる)。ブレスの中心から息を押し出すとさらに大きな緊張(不安)を感じさせます。→追旨1=呼吸

太い流れ、おおらかな息の流れは解放感、細い流れは緊張感(不安)を感じさせます。(生み出します。)私たちはそれらを巧みに何の意識もなく、自然に使い分けています。演劇など俳優はそれらを意識的に訓練をしています。

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*妙薬30=音楽は体が語る

音楽は体の持っている〜

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.音声の効率と感情

私たちの普段の会話では、音声をいかに変化させて感情を表わしているかなど、改めて考えてみると想像以上の複雑さがあることに気が付きます。

例えば赤ちゃんに語りかける時、恋人に囁く時など、優しい感情の時はハスキーに息の効率(息の量に対して音声になる効率)を悪くしているはずです。浪曲のように息を潰して愛を語ることはないでしょう。優しい言葉は発音効率が悪いのです。反対に怒った時、興奮し、感情的になった時は    

a) (おん)に高低差がある。     

b) 言葉の跳躍が激しい。

c) 強弱が激しい。        

d) リズムが激しく変わる。

f) 全体的に音が大きい。

悲しい時には声を細めていい、威嚇する時は低音でいい、いろいろな種類の音声が一つのセンテンスの中に含められ、表情を作っています。

私たちは感情を表現する手段を単に言葉(音声)として理解していますが、言葉は意味を表わすのみで、感情を直接伝えることはできません。

会話は顔や態度などの表情とともに言葉の音声の効率を微細に変化させながら行っていますが、聞くときには相手の表情とともに喋り方の音声の変換率を潜在的にとらえ、さまざまな感情を感じているわけです。すなわち意味の底辺に発音の効率(息の流れ)と抑揚の変化や‘間’に感じているのです。しかし私たちはそれらの殆んどを無意識のうちに行っています。もし言葉の感情が意味だけにあるとしたらコンピューターで作る合成語でも感情が伝わることになります。

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補説16=一時代前の電子楽器は音の〜

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楽しい、悲しい、優しい、音楽はそれぞれ人間の持つ言葉の習慣そのままを表現をしているのです。

 

.音韻と日本人の音楽表現

 

音楽表現に関係があるので、日頃思っている疑問の一つを、専門の学者のお叱りを覚悟で述べてみたいと思います。

あ行の「あ..え」、さ行「さ....そ」、は行の「は...ほ」、また「ま......れ」等、優しい意味を表わす言葉の発音は比較的柔らかい発音でできているように思います。反対にきつい言葉、強い言葉は濁点のつく言葉、または「か行」「た行」などの強い音でできている(語頭にある)、あるいはもともとはできていた、または意味が変わるうちに変化したのではないかと想像します。

「あ」=明るい→くらい、        あまい→からい、          

「う」=美しい→汚い、            うれしい→くやしい、  「え」=えらい→ばか  

「他」=やさしい→つよい→きつい       やわらかい→かたい      しょっぱい・すっぱい(口腔の形)

「きれい」のきは強い発音でイメージとは少し違います。もちろんこの反対の例もあります。語源、語尾変化、文法、そして音韻学など、言語学を勉強しなければ単なる推測にしかなりませんが、柔らかい、やさしいものを表現しようと思う時、濁点のつく言葉とか、か行、た行などの言葉ではイメージとして鋭すぎます。また強くいいたい場合とか、見ために強い、きつい、きたない、かたいような印象のものは、柔らかい発音ではインパクトがありませんので、発音の強い言葉で始まるか、強い発音が含まれているのは推察できるところです

----------------脚注----------------

 私が使った方言の中にも〜

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犬や猫でも甘えている時の声、怒っている時の声くらいは少なくとも判断できます。それは人間と共通する心理があるからでしょう。犬猫でも人間の声の調子をある程度理解しているのではないでしょうか。(もちろん学習によるものもあるでしょう。)

以上ごく簡単に述べましたが、音楽は音だけではなく言葉の習慣の上にある、ということがある程度想像して頂けるのではないかと思いますが、しかしこの音韻や息の効率や発音が及ぼす人類共通の心理、それを多分に感じさせる演奏があってもよさそうです。もちろん演劇やオペラなどにはその典型があり、邦楽においては‘間の芸術’だといわれるごとく、特に敏感に感じることができます。

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*妙薬31=音楽の音韻

言葉は優しくいうとき〜

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音楽を語るとき、その感慨を言葉で(感情を込めて)いい表していますが、その言葉は意味だけではなく、響きが心理に作用して語り合っているはずです。

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補説17=音楽を聞いて大脳がどう〜

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演奏者は呼吸をしながら音楽を再現しています。そして演奏者は楽譜の中に音楽と表現の習慣を感じ、それを音(意味)と呼吸、(体の動き)息の流れ(感情)等に変換し、表現してるわけです。そして作曲家も、私たちとなんら変わるところがない同じ生理機能と、一般的心理を持ち、音楽の習慣を踏まえて曲を書いています。但し、楽譜は紙に書いてある単なる記号で、そこには音楽芸術が全て書かれているわけではありません。そこには人間が決めた単純な約束事が書かれているに過ぎないのです。つまり音楽芸術を作るための設計図です。演奏者はそれらの楽譜を元に、約束事を覚え、演奏の習慣を覚え、楽器で音に変換し、音によって感情を表現するための技術を養わなければなりません。その技術を持ったエキスパートが、音楽家と呼ばれる人々なのです。

そして大勢の相手には個々に養ってきた技術や表現の統一が必要なため、指揮者が必要になり、指揮者は呼吸と体の動きでそれを表わします。演奏者はそれを受けて(息や行動に置き換え)音に変換しています。そしてそれを聴衆が聴きながら、見えない指揮者の心理やリズムなどの音楽表現を再びとらえているわけです。それら音に変換された音楽に作曲家の‘意味’と、指揮者を含めたプレーヤーの音楽解釈の‘感情’とを聴衆は受け取っているわけです。

人間は呼吸やパフォーマンス(肉体を使った自己主張)が心理に作用し、言葉(意味)の裏側で感情を表わし生活しているのです。その人の心理をよく表現するのは、言葉そのものというよりもむしろ呼吸やパフォーマンスであるということができます。

そしてそれと全く同じように音楽もパフォーマンスですから、当然音となって表れているはずです。だからリズムや感情が感じられるのです。そしてその息遣い は腹の溜と息の割合と体(パフォーマンス)で表現をしているはずなのです。

----------------脚注----------------

 時々ブレスコントロールという〜

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つまり聴衆は人間が共通に持つ感覚の中で、楽音とともに表わされる以外のこれらの‘客観的要素’そして音韻、音声の効率などを敏感に感じ、安らぎを覚えたり、興奮を覚えたりしている。つまり、音楽は言葉によって磨かれた表現手段と、体が語る人間が共通に持つ心理を基に音楽を表現し、鑑賞している、のです。

同じ人間がする芸術である音楽が、それらを無視してでき上がっているとは考えられません。スポーツや舞台芸術における間と呼吸の関係など、体が語る心理、それらを私たちは敏感に感じています。さらに言葉は体と呼吸が与える心理の上に成り立っています。そして音楽は呼吸が及ぼす心理の上に成り立っていると考えるのはのは当然です。

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*妙薬32=ブレスは接続詞

穏やかに喋っているときには〜

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つまり音楽という側面には万国共通の不偏性があり、それが民族色となって表現されていることは当然です。しかし考えなければならないことは、その民族色が何から生まれているかという問題については文化の違いとしてとらえられているままなのです。そこに幾多の問題が生じている事実を指摘してきているのです。

 

 

 

 

1 節「リズム処理」と音楽比較

これまで音楽の裏側に潜む客観的事例を多く扱ってきましたが、以降の節では演奏上、実際に起こっている事実を比較したり、若干の音符を使って述べてみることにします。

 

日本人のリズム感覚

1章でリズムについては詳しく述べましたが、吹奏楽器に限らず器楽の初心者に、次に挙げる現象がみられます。そしてまた吹奏楽の合奏においてはさらなる典型的現象がみられますが、この述べる現象は楽器の扱いが不慣れなため起こる事や、ソロと違って合奏という一定の枠の中で演奏しなければならない、という不自由さから来るなどの原因も考えられます。しかしこれらの処理は初心者に限らず、楽器の種類問わず、専門家にもその痕跡を認めることができるため、今から述べることは、日本人的な表現の典型、また凝縮形ではないかとさえ思われます。そのため不慣れということでは解決がつきません。

 

マーチなどでは*(3:1)の形がよく出てきますが、大概の初心者はこの(3:1)のリズムにならずに*(2:1)に近い形になってしまいますが、もちろんこれは1拍に符点の16分音符分が不*足しているので、各拍が16分音符分寸詰まりになって、曲のテンポが早くなってしまいます。そのため精神的に焦りが生じ、演奏困難な状況へと陥っていくことになります。ここまではどの楽器の初心者にもみられます。

さらに下手な吹奏楽でみられる面白い現象は、*(3:1)が→*(2:1)*(1:1)*(1:2)*(1:3)へと、リズムが寸詰まり状態になりながら、リズムが逆転してしまうことです。これはちょうど「曼珠沙華」や軍歌、演歌にみられる“小節”(こぶし)のリズムです。

そしてこれとは反対に、八分の六拍子で書かれた行進曲の2:1*がたいへん見事な3:1*になって、反対に3:1*が、だらしない2:1**)になってしまうという、実に奇妙な現象が観察できるのです。また音形の訓練の後でも*とも*ともつかないリズムで演奏するか、時間的に合っている3:1*のリズムでも躍動感の無い、聞いてリズムを感じとることが困難な平坦な演奏になってしまいます。

この躍動感のない演奏は専門家においてもみられ、むしろ3:1*の形のリズミカルな演奏を聞くことの方が希なくらいです。これはリズムにうるさいジャズにおいても観察できる現象です。

そしてこれらのリズムの処理は述べたほか、浪曲や詩吟、民謡など、伝統音楽にも多くみられる、力強さを感じるとき、日本人の当てはめやすい感情のリズムが「こぶし」1:3、*に近い形になるという現象だと思われます。それは言葉特徴から出てくる伝統的なリズムに対する感情の一つではないかと思われます(→妙薬33)。邦楽には先に述べた「母音を歌い回す」という処理の他、最初に多くいい回した後‘空白(間)’をとったり、同じく最初にいい回して語尾を引っぱって1フレーズにする、といった歌い回しがあります。(詩吟、琵琶、講談、浪曲、和歌の朗詠など)これと同じように西洋音楽の細かい音符を拍に均等に割り付けず、拍の最初にいい回してしまって、拍中の最後の音符を伸ばして次のリズム核を待つといった、私たちの日本人に備わった独特なリズム処理の仕方だと考えられます。(日本語のリズムの特徴ではないかと思われます。)

 

〈曼珠沙華〉=(ゴン シャン  ゴン シャンどこへゆく)

〈ああわが戦友〉=(満目百里  雪白く)       

  〈麦と兵隊〉=(徐州徐州と人馬は進む〜)

〈戦友〉=         (ここはお国を何百里)           

 〈露営の歌〉=(勝ってくるぞと勇ましく〜)

〈戦友〉〈露営の歌〉元の音形は=*3:1、一般的に歌われているのは1:3*でしょう。

〈叱られて〉=(叱られて叱られて〜)(アウフタクトからはじまっているが!

(「村祭」や「〈鞠と殿様〉=(てんてんてん鞠〜)」、先の軍歌のように作曲された音形、または歌詞と違って歌われている場合も多くあることでしょう。)

 

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*妙薬33=リズム音痴原因は

このリズムの逆転現象〜

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明治以降、*3:1のリズムで書かれたこのような歌曲は多くあります。曲の感情を表わす上で、西洋のリズム形に当てはめれば*ではなく*の音形を使うことは感情の上から当然*の音形を使うだろうと思いますが、しかし一般ではこのリズムで歌っていませんし、付点音符3:1*の跳ねるリズムは、日本語では歌いやすいリズムではありません。この音形は日本人の最も不得意とするリズム形の一つです。一般で歌うリズムのほとんどは**の中間、もしくは**、その歌詞(言葉)によってさまざまですが、いずれも*の音形で歌っていることはなく、感情や音(おん)のかかわりから適当な処理を行っています。このリズム*を取ることは訓練無くしてはできないばかりではなく、日本の情緒が失われることになりかねません。そのため訓練された声楽家の発音より、子供たちや素人の柔らかい子音の発音と、曖昧なリズムで歌う方が日本的情緒があり、自然で好ましい、と思うのは私だけではないでしょう もし一般の人が楽譜通り正確なリズムで歌ったら、とても滑稽な表現になってしまうのではないでしょうか。

----------------脚注----------------

 実例を挙げることは〜

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もちろん、最近の童謡や、子供たちのために書かれたピアノ曲などには、たいへんリズミカルに演奏できる構造(自然にリズミカルに歌える)を持った優れた作品もあります。しかしここでは作曲の技法や日本歌曲の問題点や弊害を論じているのではありません。私たちが演奏する表現の根底には、文化や日本の言葉上の問題が、リズムに影響を及ぼしているということを、歌曲を例に出し述べてきたわけです。その影響とはもちろん、私たちが西洋楽器を使ってする西洋音楽の演奏上の障害としても表れている、ということが当然推察できるわけです。

 

《歌の町》=よい子が住んでるよい町は  

《雪》=雪やこんこ   あられやこんこ

《鉄道唱歌》汽笛一声新橋を    

《鳩》=ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ

《鯉のぼり》=いらかの波と     

《港》=空も港も夜は晴れて     

《とんがり帽子》=緑りの丘の赤い屋根         

《トコトンヤレ節》=宮さん宮さんお馬の前に

《浦島太郎》=昔々浦島は        

《赤い帽子白い帽子》=赤い帽子白い帽子仲よしさん   

《あめふり》=あめあめふれふれ母さんが       

《きんたろう》=まさかりかついで きんたろう

《かたつむり》    《あのこはだあれ》     

 《一寸法師》   《だいこくさま》   《仲良し小道》

《雪の振るまちを》  《月の砂漠》    

《箱根の山》    《うさぎとかめ》

わらべ歌

《手鞠歌・東京》=(あんたがたどこさ) 

《花いちもんめ》

 

       *

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補説18=これまで述べてきたことと

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(例えば〈箱根の山〉=こねの山は〜。〈鳩〉=ぽっぽっぽ、はとぽっぽ〜。〈こいのぼり〉=いいらあかーのなあみと〜。〈南京玉すだれ〉=て、あて、あてさてさてさて、さはなんきんたますだれ〜。わらべ歌=あんたがたどこさ、ひごさ〜)

*「ツ」は舌や舌の付け根、あるいは喉で切っていることが多い。「ン」はンとツの混じったような方法をとる。

 

以上、3:1のリズムが取れない、無いということを述べてきました、

日本語には‘腹で言葉を切る’という習慣がなく、一般庶民に歌われる音楽にもありません(一般論として述べています。)。そして言葉、音楽とも割り切って取れるリズムも発音もなく、リズムの周期性も少ないのです。

日本語と日本人の感性に最も合ったリズムと曲想をこれまで述べてきましたが、その原点は長唄、常磐津などの邦楽、そして浪曲なのです。そしてさらに演歌へと発展していったわけです

----------------脚注----------------

 歌詞は違いますが外国から〜

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そして日本語の喋り言葉をリズミカルにし、抑揚を持たせてようとすると「南京玉すだれ」等、日本式ラップのルーツと思えるような*に近いリズムになるのではないかと思われます。そしてそのリズムと各地の和太鼓のリズムは3:1とか2:1あるいは2:1と8分音符の中間的なものが多いですが、これがわれわれの西洋音楽の演奏方法と一致しています。それは日本語のリズムの特徴を表わしているのではないかと思われます。

そして私たちはそれらの習慣で西洋音楽に対処している事を気が付いていないのです。

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補説19=子供の覚えたての言葉は〜

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2節〈スタッカート〉の比較

スタッカートやマルカート はレガート の対照として西洋音楽では重要な表現手段です。このスタッカートの演奏においても前節で述べた発音と同じく、日本人的な特徴を見い出す事ができます。この2節は少し専門的になるかも知れません。スタッカートに日本人特有の障害があるということと、音楽ではたいへん短い時間の中で処理されていると言うを理解頂いければ十分です。

 

スタッカートとマルカートははっきりとした演奏上の違いがありますが、テンポの遅いスタッカートとマルカートを意識的に区別して演奏した経験が私にはありません。曲想によって音楽的な意識の差が生まれ、ニュアンスに若干の違いが出てくる、その程度に思っていますし、とりたてて演奏方法に違いがあるとは思っていないところから、体の使い方に大きな区別がつけられません。従って本書では遅いスタッカートもマルカートと呼ぶことにします。なお脚注41を参照していただきたい。

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 マルカート=目立つ、はっきりした、〜

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----------------脚注----------------

 レガート=滑らかに〜

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スタッカートにおいて日本人に特有の現象(症状)を列挙してみます。

(1) スタッカートの語尾をはっきり切らず、余韻を残したような演奏になる。
(2) フレーズの出しの音に雑音が混じる。(レガート、スタッカートとも)またはスタッカートに雑音がついたままの連続になる。
(3) ゆっくりなスタッカートでは、空いた空間が待ちきれないでリズムが詰まり、テンポが早くなる。リズム通り演奏させようすると(1)と同じように語尾を引っ張る。
(4) マルカートと呼ばれる柔らかく切る表現があるが、上記スタッカートの障害に輪をかけ、音を引っ張り、余韻を残すようなおかしな表現になる。
(5) スタッカートのリズムが、あるべき定期的なリズム(メトロノーム)から全て乗り遅れる。

 

比較的時間の長い8分音符以上のレガートでの演奏の場合は、音が立ち上がった後、音を膨らませ、発音欠点が隠せますが(すなわち母音処理)、このスタッカートは(細かい音符に処理の典型がある)立ち上がったと同時(リズム核と同時)に音を切らなければならず、音の出ている時間が短いために、それらの‘ごまかし’ができなくなり、さまざまな欠点が露出します。従って上記のような表立った症状が出てくることになります。

主観的な演奏(日本的)になっていることもありますが、骨振動や述べてきたさまざまな現象が影響及ぼしたり、また上記1〜5が私たちの好む方法であるため、これらの症状を自覚することはもちろん、聴いて変だと感じられる人も少ないのです。

これらの点を踏まえ、日本人の演奏に注意を向け外国人演奏家と比較しながら聞くと、弦楽器、ピアノを含めて、スタッカートのフレーズ出だし、フレーズ最後の音の切り方に、日本人独特の演奏の習慣や方法を見い出すことができます。発音することに比較的自由な(あるいは筋肉の動きとして自覚しやすい)弦楽器、ピアノにおいては、母音処理で述べた通り、その障害は視覚的には動きを伴ったり、また発音の状態を直接観察することができますが、

そしてリードという発音体の操作をしなければならない管楽器では発音の障害として、(フルート含む)唇、唇周辺の筋肉、咽、咽周辺の筋肉、口腔内の形、舌の運動、体の動き等、さまざまな障害が複合的に表れるので、表立った症状で診断を下すことは一般的には困難です。これらの障害を持ちながら訓練を重ねて行った場合には、発音の不自由さをかばう形で母音処理を伴うことになります。そのため本人の自覚も余計難しくなります。この項では発音の瞬間が特に自覚し難い管楽器を中心に述べることにします。

 

タンギング

タンギングとは舌を着いたり離したりという動作をいい、楽器の特徴によって舌先で直接リードに触れたり、あるいは空気を遮断して振動を制御します。スタッカートはそのタンギングの一つの方法です。

スタッカートの一般的な表現を分析すると、速いスタッカートは発音するときも、切るときも舌に頼りますが、テンポが遅くなるに従って、次第に柔らかく弾んだ切り方(マルカート的=腹で語尾を切る)になります。ゆっくりなスタッカート(マルカート)を言葉でいうと、いわゆる『ポン、ポン』とか『タン、タン』といい表わすごとく『ポ』と『ン』に分けられ、言葉としては「ン」を余韻として発音しています。この「ン」の発音を楽器で行う場合には腹で切ることになりますが、舌で振動を止めたようにスッパリと音が切れず、余韻が残ることになります。 〈→追旨2-5=TuDu反対にスタッカートは舌を使って空気の流れを遮断したり流したり、強制的に震動を制御するため、短く鋭い音が連続します。

(日本人的スタッカートの典型は余韻を残すような方法、すなわちそれは補説17で述べた「ン」や「ツ」の発音のように口腔内の処理が多い。)

----------------脚注----------------

 大体中位のテンポ〜

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スタッカートにはシングル、ダブル、トリプル がありますが、述べている現象は最初の音に顕著に出ますので、シングルタンギングとしてさらに話しを進めます。

楽器の構造によってもスタッカート可能な速さの限界がありますが、高音楽器だとそうとうな早さのスタッカートに対処しなければなりません。その速さは表のような時間になりますが、この時間内に音を立ち上げなければならないことが第1点、第2点目は同じ0.0625秒間隔で舌の往復運動が行われるという点です。

----------------脚注----------------

 ダブルタンギング=言葉でいう〜

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スタッカート=およそ舌が振動を止めている時間を半分と仮定する。

通過時間=通常の音符一拍の長さ。

表右下の濃い色で示した速度は、高音楽器であればそれほど速いスタッカートではない。

              *

.表は時間を示しているだけで大意はない。

 

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補説20==私が聞いた一番速い〜

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スタッカートは瞬間的な発音の繰り返しなので、発音のタイミングが悪かったり、また細い空気からではきれいな発音ができません。いい方を変えると、スタッカートは大きなエネルギーを一度に出さなければ、きれいな発音のスタッカートにはなりません。(車で急発進、急停止を繰り返えすと燃費は極端に落ちますが、それは空気と燃料の違いで理由は同じことです。)きれいな音を発音するためには“腹の溜”(エンジンの馬力に対してのアイドリングに例えられるでしょう。)が必要となりますが、日本語にはその習慣がありません。

スタッカートは時間的に短いため、出た音を確認してから次の音に進むということは不可能です。音を立ち上げようとしたときには既に4つなり6つなり‘約1拍分の1かたまりの体の予定’と‘舌の運動の予定’ができ上がってしまっています。つまり音が立ち上がることも、切ることも、その時点では音を確認することなく‘予測’で行っていることになります。そして発音が思うようにいかないと、一つ目の音からリズムがずれていくことにりますが、無理やりでも発音させるには、後ろへと音を伸ばし(息を膨らませ〉スタカートの空くべき空間を常に犠牲にしなければならなくなってきます。それは乗り遅れと、余韻を残したような曖昧なスタッカートを生むことになります。また出発して予定した音に雑音が付いたり(潜在的には認識している。)、立上りが悪かったり、アクシデントに見舞われて予定通にいかなかった場合に、アクシデントの処理に追われることになります。スタッカートでは音に対する調整や時間的な調整など、とてもできません。そのアクシデントとは、歯車の一つが欠け、突然空回りしてしまう自転車で競走しているようなものか、あるいは砂浜で真面目に競技会を行っているようなもので、一歩一歩、砂に足をとられて不測な事態に必死に対処しているようなものでしょう。それは体力的にも精神的にも疲れ果ててしまい、当然よい記録など出るわけがありません。スタッカートでは、それが0.125秒前後の短い時間で連続的に起こっているようなもので、速いスタッカートは当然不能になります。

例えば『故郷』の出だしの“ウーサーギー”の“ウー”とやっている間に、スタッカートを分散和音で入れようとすると、3つ、4つ6つと入れられますが、もしこのとき、百分の数秒遅れたら、みな後ろにずれていくことになります。また反対に百分の数秒早かったら時間が余ってしまいます。計算ではそうなりますが、実際にはこれらの状態が少しでも生まれたら一時的に演奏不能状態に陥ってしまいます。

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 補説21=ひどい障害の場合には〜

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補説22=舌の動きは体が〜

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身近な例では、黙読と音読の差がそれにあたるかもしれません。

さして難しくない本でも音読をすると、つっかえたり、どもったり、後戻りしたりするものですが、焦れば焦るほどうまくいかなくなります。それは学校で教科書を読まされたときなどに感じるプレッシャーの問題だけとはいえません。黙読では相当早く読めますが、音読では確認、修正作業が入るため(潜在的な葛藤を生んで)、一人で音読したとしても同じ現象が起きてすらすらと読めなくなります。つまり上記のスタッカートの現象は、思うように発音できず、不自由な思いで読んでいることと同じなのです。

つまりこの問題は時間を扱う音楽にとって、スタッカートの障害にとどまらず、発音することに重大な病巣を持っていることになり、それは形を変えて各種疾患の元凶となっている場合が多くあります。

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*妙薬34=認知は息と体のリズム

不慮のでき事が起こると〜

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スタッカートは音が出ることを予測し、送り込んだ息の直後に音を止める動作に移行しているわけですが、発音できていない場合には、予定通り音を切ろうと動き出した舌は、発音できるまで瞬間待ってしまいます。スタッカートの苦手な人の舌の往復運動は一音一音で全てこのような事になっています。

無理なく発音することができなければタンギング、スタッカートに解放されることはありません。(タイミングの遅れ・一音処理・無声音がなく子音が細いなどの問題。)

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テンポの速い細かな音形や、特に速いスタッカートの場合は、舌の感覚や息の流れ方、体に伝わる振動などの感覚を、リズム核に近い時刻(点前)に判断し、感覚的にOKを感じて次の音へと移行しているらしいことが推察されます。またスタッカートから出た音の判断はそれより遅く、事後承諾 の形で進行しているようです。(先の速度前後のスタッカートにおいて、処理がうまくいっている場合には、実際の音の処理時点に比べ、意識は音符数個、先行しているらしいということは種々の経験からいえそうです。)

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 もちろんこのことは音楽に限らず、人間の心理や脳の働きを考えれば当然のことで、人間の感覚全てにおいていえることです。

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妙薬35=演奏は頭でするな

音楽はたいへん高度な処理能力を〜

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*妙薬36=スタッカートが無い日本の文化

腹の俊敏性を養う訓練や〜

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*妙薬37=音楽は発音の方法とタイミング

音楽の諸弊害、つまり〜

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*妙薬38=“スタッカート〜

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3節「発音特性とリズムの関係」

 

=言葉の発音特性を比較し、リズム感を検証する=

これまで日本人の発音やリズムの感性、そして内面的感情などをさまざまな角度から眺めてきました。この節では第一章で述べたリズムや言葉の問題を踏まえ、実際にはいかに対処しているか、さらに詳しく音楽の内部構造を比較しながら分析をすることにいたします。

 

日本人は発音が遅れるという事を述べました。中には無難と思われるくらい目立たなく音を立ち上げています。その遅れは楽器の種類や性格、団体、また速度や感情や方法によって、発音の方法とタイミングは違いますので時間で表わすことは困難ですが、‘打合点の定義’を基準にみると、あるべきリズムから発音までのずれ(音にリズム核を感じる時)は、リズミカルな曲では一拍の1/4前後。感情を込めるに従ってさらに遅く、重厚な曲だと1音の半分位の遅れが確認できることはしばしばで、それは日本人の演奏の特徴をよく表わしています。これは‘数え方の拍’と同じ事になり、舟漕ぎ‘母音処理’のリズムがちょうどそれに当たります。

近年少なくなりましたが、曲の出発のタイミングが、ひどい場合には殆んど1音近く遅れ、さらに母音処理をすることを今だみかけることがあります。かつてあるプロオーケストラでもその典型がありました。これらは音楽において論外のでき事であることは「拍の定義、踊りと指揮、二人三脚」など、1章で述べた通りですが、それはわれわれの感性に合いますので、そこに問題意識が生まれ難いわけです。

発音が遅れたままで音楽ができる、ということは何処かで辻褄合わせをしていることになるか、遅れを気にせずに進んでいっているかで、正確なリズムになる事はあり得ません。

各種音楽団体、また吹奏楽などでは、「音のブレンド」とか「サウンドの良し悪し」とか、また「アインザッツ」(音の出のタイミング)等、と各種さまざまな表現をもって論議されたり、実践されたりしています。このことは吹奏楽に限らず、音楽の世界では、暗黙の了解の上に成り立っている用語がたいへん多いように思います。そしてその実態が不明のままで論議するため、一層混乱を招くことになります。

 

これまでに述べてきたさまざまな障害や問題点、言葉と音楽のリズムの関係、そして発音状態など、その3者の関係を何らかの形で示せれば、簡単な内容で納得も得られやすいでしょう。それは計測器でとらえ、数値化することが可能であれば、それが最もよい方法かもしれませんが、実際問題としてたいへん困難なことです。また文章で表現する以上、ここでは音を出して示すわけにはいきません。しかし誰もが確認できる非常に解りやすい手立てが一つだけあります。それは歌曲を分析することです。テンポの遅い情緒的な歌はその状態をスローモーションでよく再現してくれます。

西洋のリズムの影響を受けた日本的な曲なら、日本歌曲や童謡や演歌になります。演歌ではリズムより早く、またはリズム通りに出ている歌手、歌い方は聴いたことがありませんし、日本歌曲全体においてその特徴がみられます(当面、伴奏より遅れると理解してよい)。さらにわれわれが口ずさむ歌曲、童謡も、無意識に遅ればせに歌っているはずです。もし、日本の曲を手拍子に合うように(遅れずに)歌ったら、感じがでないばかりでなく、殆んどの童謡、歌曲は軍歌調か応援歌になってしまうことでしょう

----------------脚注----------------

 後乗りのリズムは人間の〜

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以下では特に日本の歌曲として七つの子、アメリカの歌曲としてはホワイトクリスマス及びアメリカ ザ ビューティフルなどを例に出しますが、これに限ることではありません。

それらの歌い方を分析し、言葉と曲の関係から、表現の習慣やリズムの感覚の違いを探ってみることにします。

アメリカの歌曲で確認できることは第一点として、各単語の子音の‘点前’が非常にクリアーな上、子音の発音が明確ですから、日本の歌から察すると、各音符ごとに装飾音符が入っているような感じを受けます。そして子音を明確に発音するためか、無声音が太くスピードがあり、情緒的な曲ほど打合点(リズム核)より早く発音を始めていることがわかります。

第二点、ホワイトクリスマスの冒頭のI'mmの発音、つまり単語(シラブル)終りの子音を発音(もしくは実際には発音しなくとも認識が伴う)するために後打音 (後ろに付く装飾音符)が付くことになります。他にwhitete,Chrst-mass(譜例4-C参照)これらはいずれも楽譜上には書かれていませんし、単語の発音としてのアクセントもありません。それは言語の比較で述べたように、当然英語の特性から生まれているものです。

第三点、同じく「ホワイトクリスマス」の冒頭のI'mIの発音は日本語でいえば「愛」にあたりますが、母音においても点前から発音を始めていることがわかります。(いずれの母音でも結果は同じ事になります。)手でリズムを取りながら「ホワイトクリスマス」と日本語の「あい」で出だす曲を歌って比較してみてください。〈→補説23

反対に日本の曲をみると、子音が細く弱く、母音を引っ張るためにリズム核あたりで子音を発し、母音を後ろへと押し出しています。そのため点前(子音)がほとんど無いことになります。

 

 

(譜例1)

 

楽譜掲載(歌詞付き2小節)

譜例A-=七つの子(ローマ字、音符のリズム核に合わせ、数え方の拍で記載。下段に仮名文字。)

譜例A-=七つの子(ローマ字、実際の拍で記載。)

譜例B-=アメリカ ザ ビューティフル(英語、実際の拍で記載。)

譜例B-=アメリカ ザ ビューティフル(カタカナ日本語読み、音符変え、オ・ビュウ  ティ フ  ル・ホ ア

譜例C-=ホワイトクリスマス(英語、実際の拍で記載。)

譜例C-=ホワイトクリスマス(カタカナ日本語読み、音符変え、アイ  ドリーミング  オブ   ア)

日本語歌詞入れ=  ゆーめにみるホワイトクリスマス

譜例C-=ホワイトクリスマス(邦訳)

譜例C-=ホワイトクリスマス(英語、装飾音符を入れ記載。)

 

 

譜例で示した歌詞の位置は音符上がリズム核を示し、音符前が点前、音符後は点後の時刻になるように記した。(音符の時刻と歌詞の時刻を同時に記載)。

 

まず譜例B-1、C-1と9図を見比べて頂きたい。単語の母音がリズム核にあり、子音が音符より前に出ていることに気付かれるでしょう。実際に歌曲集等をみれば解りますが、英語の歌はもともとこのような習慣で歌詞が書かれています。それはリズム核より手前(実際の拍)で発音をすることを暗黙のうちに知らせてくれています。そしてここで英語の歌い方のリズムの取り方を確認してみたいと思います。

 

譜例C-1「ホワイトクリスマス」を、手拍子を取りながら実際に歌って子音と母音のタイミングを確認すると、I'm Drea-ming of a White christ-mas  太字の母音と手拍子が一致するはずです。そして母音より前に子音を発音していることが確認できる事でしょう。不慣れな英語で歌っても、ある程度確認できるのです。これが英語の乗りなのですが、英語(クラシック音楽が行われていた国の言語)はもともと‘実際の拍’で歌えるようにできている言語なのです。

譜例A-1の「七つの子」は日本的感情の歌い方であることを示すが、譜例A-2のようには歌わないはずです。子音と母音の位置に注意。

譜例B-=「アメリカ ザ ビューティフル」、譜例C-=「ホワイトクリスマス」は日本語英語で発音した場合の楽譜はこうなるだろうという、1音1音符をあてはめた滑稽な例を示すが、日本語英語の発音で歌うほどに‘数え方の拍’になってしまう例を示した。

譜例C-2は邦訳であるが、邦訳した場合には譜例C-3と同じように‘数え方の拍’で歌ってしまう。これは日本歌曲の一般的なリズムの乗り方と同じ歌い方です。

譜例C-4は日本語で歌う習慣からみると装飾音符が入っているような感じに受け取れるが、それが‘実際の拍’の歌い方です。点前をはっきり発音し、前乗りの歌い方です。また装飾音符を使わず実際の音符に割り振ることもできるだろう。譜例C-5及び譜例2-C、及び譜例4〈Silent  Night !

譜例Dは「夢路より」は後に解説。

*(9図)

 

9図は日本語と英語の発音の相違を極端に表わし、私の観念を図にしたものである。模様は太い無声音からリズム核に向かって次第に強い音になっていることを示し、薄い息から濃い息に変化している様子(強弱アクセント)を示している。

 

一方、瓢箪形の下例の模様は子音が細く、母音を押し出し、譜例1--3で示した演歌的な歌い方のように、音に高低の変化を好む日本語の息と音の割合を示した。上下模様の濃さのずれは発音のタイミングのずれを示し、日本語はリズム核あたりから発音していることを示している。

 

.英語のリズムと日本語のリズム

(10図)

              *

上記表、1のRecord  show  progressという文章を大きなリズム核として、同じ速度で抑揚を壊さずに下記の単語が入ることを示している。例えば4は譜例2のように=His record have been showing him his progress.

 

(譜例2-a)*

 His record has been showing her my progress

 

こうなるかもしれない。私は言語のリズムや作曲を専門にしているわけではないので、

拍子や音形、音節の関係がどうなるかは詳しくわかりません。しかし譜例1--5や譜例2-Cのように四分音符を基調とした拍子でも音形を分割して楽譜に表わせるように、八拍子のラップなど、極めてリズミカルな「乗り」の場合には、さらに分割して下記に近いリズムを(体で)取っているのではないかと思います。

 

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*妙薬39=すなわち乗りがよい、と〜

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2章5節〈踊りに出る言葉のタイミング〉でも述べたように、日本人以外の多くの民族はアップビートを取っていると述べましたが、たとえ四拍子の曲を歌ってアップビートをとれば、言葉の何処かにアップビート(1/2拍)を示すリズムが常に存在していなければなりません。その場合、言葉を単語やシラブルで分割する以外の分割が出てくるはずなのです。 もちろんこれらの論はいうまでもなく私の個人的見解であることを断っておきますが、長いセンテンスにおいても音符一つに対して母音一つだけに‘リズム核’があると思われています。しかし体感上隠れたリズムは子音にもあるということを主張しています。そしてもし八拍子のロックミュージックでアップビートを取ったら、さらに細かいリズムが出てくることになります。

----------------脚注----------------

 単語は音節(シラブル)に〜

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もちろん譜例2-bは一例を示したまでで、典型ではありません。‘ラップロック’に乗せた場合、またいい表わし方によってはさまざまな音形が可能だと思われます。述べた理由から音節には乗っ取っていない。

 

   (譜例2-b)*

     Hi s re cor d  ha ve-bee n sho win g he r m y  p ro  g re ss

 

そして2章1節の脚注(脚注17に参考資料を掲載しましたが、その三点とも定期的なリズムの中で発音することを目指した教材で、特に4BEET  ENGLISHにおいては4ビートジャズのリズムに乗せながら普通の会話をしています。つまり英語はメトロノームに合わせてもニュアンスを壊さずに会話できる、それは下記の日本語とは違い、英語の単語やセンテンスのリズムが自由にできるということを証明しています。

 

さて、ここで比較したいことは、日本語は1音1リズム核に限定され、さらに拍の時刻が上記の英語とは比較にならない位曖昧だということです。

日本語で最も構造的な文章は和歌俳句だと思いますので、これを譜表で表わすと。

 

(譜例3-a)*

     ふるいけや かわずとびこむ みずのおと

=意味分拍=ふるいけ-=かわず-とびこむ=みず--おと

 

譜例3-aで表わしたように、等速度でも読むことができますが、音楽に使うには意味分拍するためのリズムや旋律が必要でしょう。しかし一音に一音符を当てはめなければならないわけです。日本語は子音を弱く発音するため、リズム核がはっきりしません。さらに単語のリズムは高低アクセントで、言葉に強弱が少ないため、英語などと比べてリズムが曖昧になります。さらに譜例3-aのADの語頭語尾BCのフレーズの継目は感情を込める程に声を細めて微妙な間を作ります。日本語は後押しで点後が伸びてくるために、時間枠に当てはめて発音することにたいへん不自由を感じます。一音の発音、リズム核、単語のリズム核、音楽のリズムともに強弱をつけようがなく、そのため周期性も曖昧にならざるを得なくなってきます。

* c*

    ふるいけや  かわずとびこむ    

   ふるいけや       かわず  とびこむ

 

つまり、もし歌曲になったときにはb例のように休符を厳格に守って歌ったとしたら厳格な間を取らざるを得なく、ニュアンスが壊れるおそれがでてきます。(日本語は休符に表わすことは困難で、時間的に不確定な間であると考えます。)つまり日本歌曲(日本語)全体に休符(間)や語頭語尾の発音やリズムが曖昧なのです。その曖昧さはこの他にも多くを語ってきましたが、いい方を変えれば時間的に正確にできないのです。

日本語をリズミカルにするとc例になり、‘南京玉すだれ’や各地の和太鼓のリズム、そして前節で述べたリズムの逆転現象が、このc例に近いリズムなのです。

 

述べてきたそれらの違いをとらえるため、帰国子女数人に行ったことと同じ実験を、日本育ちの中高生に試みました。

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*妙薬40=英語でDolce

前記、譜例1-ABCDそして〜

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そしてその実験は、日本語の演奏と英語の演奏、さらに日本語の発音的英語(日本語英語)の演奏も聞き分けられるほどに、その違いを表わします。

譜例1--2〈夢路より〉の英語での演奏においては日本語英語的演奏になりがちです。それはBeau-ti-ful  dream-erの発音全体が日本語的発音になるせいで、特にBeau-ti-fullを「る」と発音してしまうからです。英語の発音とスピード感を教えることで解消します。また発音に慣れてくるとBeau-ti-fulの音符が詰まった感じになりますが、それは英語の発音からくる特性で、かえって心地よく感じることができます。

アメリカ、フランス、ドイツなどの演奏家は、曲中、細かな音符がでてくると、やや早めのテンポで演奏する傾向がありますが、それはこの言葉の特徴から出てくるものだと思われます。日本人は反対に遅くなります。

 

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*妙薬41=英語の発音で障害を克服

英語の発音の習慣を身に着けさせ訓練することで、〜

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補説23=性格や年齢、性別よって〜

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*妙薬42=音程、音色の誤解

弦楽器を含め、アンサンブルにおいて〜

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この問題は発音特性や〜

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補説24=T,-ch,-s,-shなど、英語ドイツ語は語尾の子音をはっきり発音します。そのため一音符に入れる単語の語尾を発音するためには、明確なリズムが必要となります。

譜例1-C-5White christmas〉では装飾音符と音符で示しました。譜例4〈Silent night!〉では音符のみを使って記しましたが、同時参照してください。

 

(長い音符において、語尾の明確な子音を発音するためには、その前には母音的発音がくるはずです。)

西洋音楽のエンデングは、打点とともにはっきりいい切った終り方をする場合が多い。また曲想如何にかかわらず(長い音符や終止においても)音符の転換点や語尾を明確に表現する習慣は同じく、この言葉のリズムの習慣が出ているものと推察できます。

 

(譜例4)tonight     -T,-ch,-s,-sh3-4 例入れ

 

また発音の構造、譜例2-cでrecord  show  progressを分割しましたが、それがアップビートを生み出す元になり、またリズムの分割のし方次第で、シンコペーションも多様に生み出すことができるはずです。ヨーロッパ音楽は常にリズミカルだという理由は、これらの習慣が音楽の流れとして出ている点にあると推測できます。

一方日本語の発音では子音が細いため、打合点(リズム核)が不明瞭になるばかりでなく、一音一音符を当てはめ、全ての語尾が母音で終わるため、一音が分割できません。それもリズムの曖昧さを生み出す一因ともなっているようです。そして終りの拍は特に‘間’や‘はかなさ’など微妙な表現が可能となります。日本音楽のそうした構造を言語が持っています。

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日本人の西洋音楽対処

これら一連のことは西洋音楽を日本人の聴覚で聴いていることを意味します。そしてそこに培われたセンスで勉強し演奏することになります。

西洋音楽は言語と同じく、子音に重きをおき、発音する時に息に“溜”があり、打合点に向かって太く吐き出して発音し、さらに強弱アクセントで成り立っています。そして楽器は言葉や音楽の習慣の上に成り立っています。つまり西洋の楽器は太い強い息で立上り、強弱アクセントが発音しやすいように作られています。

*

一方日本語は息に溜が無く、細い子音から母音に向かって押し出すような方法をとります。同じように、西洋楽器に対しても、日本人は日本語の習慣で“細い、薄い、弱い”息から、腹の準備なく、子音を曖昧にしてタイミングを遅らせ、母音に向けて主張をぼかしながら(あたりさわりなく)押し出すように発音します。

そして曖昧な語尾の処理をとってしまいます。そのためリズムのあるべきところ(時間的、あるいは体感上のリズム)はいつも過ぎてしまい、常にリズムに「乗り遅れ」ています。

 

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*妙薬43=西洋音楽の言語

日本人は西洋音楽に対してまで〜

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さらに始末が悪いことに、この雑音は先に述べた事と全く同じ現象、すなわち、私たち日本人が西洋楽器で出した立ち上がり(子音、無声音)も、われわれ日本人には自分を含めて聞こえ難いようなのです。 それは理解させようのない、誠に始末の悪い、困った現象なのです。

----------------脚注----------------

 楊子を使って口を鳴らしたり、食器の音をたてたり、音をさせて食べたりすることを私たちはさほど気にしません。それどころか「うどん」は音をさせてズルズル食べた方がよいとまでいわれるくらいです。また商店、スキー場、観光地などで流れる大音量の音楽の苦情もあまり聞きません。私たちは音に対してとても無頓着な面も持ち合わせています。これも音文化に対するわれわれの一面です。前にも述べたように、発音時の小さな雑音は"聞こえていない"という現象は、専門家においても観察できますが、雑音を気にしないこと聞こえないこととの因果関係は判りません。53=母音に捕らわれる日本人

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*妙薬44=リズムの曖昧な日本語で西洋音楽を演奏

日本語には拍の裏表の〜

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以上発音とリズムの問題を主に語ってきましたが、この章で述べている事項は第二次構造が第一次構造に深く影響を及ぼしているという事例です。反対に感情の第四次構造が発音の第一次、第二次構造にまで影響を及ぼす例でもあります。

 

 

 

 

4節〈日本人の「リズム感と拍子感」〉

日本音楽にはスタッカートやリズミカルな曲はあり得ない!

スタッカート、発音の問題、日本語の特性を英語と比較して日本人のリズムの感覚を述べてきました。2章で述べた言語比較、そして4章以前の主な問題を以下にまとめてみます

1・日本語には腹で切る言葉が無い。

2・子音、無声音が聞こえない。

3・日本語には子音を太く、強く発する習慣が無い。強弱アクセントが無い。

4・子音と母音の組み合わせ(母音処理)で音を後ろに発する為、時間的に発音が後れる。

(言葉をリズム内に治め、発音する習慣がない。言葉が時間的に割り切り難い。)

5・自分を主張することを避ける傾向が強い。

6・暗い表現(曲)が好きである。(一般的に明るい表現は苦手。)

他に‘大きな声を出す’などの積極性、‘意志を主張する習慣’などの社会習慣も深くかかわっていると思いますが、これらが原因して西洋楽器、西洋音楽で使うリズムに対応を難しくし、さらにスタッカートやマルカートの処理に、障害の典型として表われるわけです。そしてこれらの理由から“日本(伝統)音楽にはスタッカートが無い”だろうということが考えられてきます。

 

これは伝統音楽ではありませんが『ぽっぽっぽっ、はとぽっぽっ』『きしゃ、きしゃ、しゅっぽ、しゅっぽ』、この2つは多少腹を使います。

『きしゃ』は明治以降の音楽だから適切ではないともいえるし、『ぽっぽっぽっ』は先の“ソーレッ”“セーノ”“ハイッ”“ヤッ・ホー”の例の如く、かけ声ですから完全な日本語とはいいにくい部分もあります。また“シュッポ、もポッポッポッ”も“ソーレッ”も『ッ』の例と同じく厳密には腹を使わなくても発音はできますし、現に殆ど使っていないでしょう。そして『はとぽっぽ」は例外と思っていましたが、映画『キョンシー』のバックミュージックで終始流れています。ルーツは中国のようです。(歌詞は判りません。)

それ以前の音楽では未だみつかりません。この2曲を入れたとしてもとても数少ない、ということで“スタッカートの音楽は無い”と思われます。

そして日本人は母音を意識しますのでリズムが曖昧です。(母音に情緒を感じている。)目につくのは長い音符ばかりです。日本音楽には、細かい音符はあり得ないと考えます。そして日本語の特徴や言葉のリズムの曖昧さを考え合わせると、リズミカルな腹を使う西洋音楽の割り切った跳ねる形の*3:1(付点8分音符と16分音符)のリズムを持った曲は、伝統音楽にはあり得ないだろう、と考えられます。

 

 

日本人の情緒と拍子感

これまで述べてきたように、日本の言葉には明確なリズムがなく、気を引くような語尾の処理をします。(俳句の休符で示した所、及び前後の音。)そのため特に好んで歌われる曲の多くは任意の間を持ったものがたいへん多いです。ですから斉唱をするとかなりずれることになりますが、そのずれをどことなく合わせているわけです。また〈第3章、日本の文化から見た感情表現〉でも述べましたが、暗く寂しい曲を好む傾向にあります。長調の演歌が売れないのもその理由ではないかと思われます。

 

↓出だしの音符

 

*.=♩    〈秋〉=(静かな静かな里の秋〜)   

            〈冬の夜〉=(燈火ちかく衣縫う母は)

            〈山小屋の灯〉=(たそがれの灯火は〜)   

 

*=♪      〈椰子の実〉=(名も知らぬ遠き島より)

   〈ペチカ〉=(雪のふる夜は〜)

          〈夏の思いで〉=(夏がくれば  思い出す〜)

 

  〈この道〉=(この道はいつかきた道〜)        

〈花〉=(春のうららの隅田川〜)

         

*=♩ 〈故郷〉=(兎追いしかの山〜)

       〈春の小川〉=(春の小川は〜)  

      〈荒城の月〉=(春こうろうの花の宴〜)

  〈さくらさくら〉 〈君が代〉

 

*=♩ ♪♪ 〈紅葉〉=(秋の夕日に照る山紅葉)

          〈夏は来ぬ〉=(うの花のにおう垣根に〜)    

          〈どこかで春が〉=(どこかで春が〜)

          〈七つの子〉=(からすなぜ鳴くの〜)  

   

情緒的な歌を挙げましたが、ここでまた奇異な現象を述べてみます。これらの曲を私たちが歌うときに手拍子を叩いたとしたら必ず1拍おき、2拍に1回たたくことになります。ということは益々拍を曖昧にしているという事がいえます。つまり1拍1拍手拍子などでリズムを取ると、リズムの周期性に引っ張られ自由度がなくなります。そのため2拍1かたまりの、大きな単位でリズムを取るのではないかと推測できるのです。するとリズムが曖昧になるため、さらにフレーズ語尾を任意にします。またブレスも任意にできるわけです。これらの歌い方は若い世代にもみられます。いい替えれば、西洋音楽からみると特異な間をつくっていることになるでしょう。

 

それと同じ現象ですが、私が子供の頃見聴きした婚礼や宴会の席では、今のようにカラオケはなく、手拍子をとったり、箸で茶碗や皿を叩きながら歌っていました。もちろん、茶碗や皿でのリズムは各人各様に勝手にずれていたことを覚えていますが、多くの人が手拍子の合間に『手もみ』という動作を入れていました。

*

この動作によってリズムの「間」をとっていたのでしょう。

この『手もみ』の動作は今のところ、東南アジアにもヨーロッパにもみあたりません。それは日本独自の習慣のようで、日本人のリズム感覚に於いて大きな関連があるのではないかと思われます。そしてこの手拍子を打つ4拍子の曲は、拍(打合点)が4つあるわけですが、1・3拍で手を叩き、2・4拍目に「手もみ」の動作を入れているわけです。この「手もみ」の動作を2・4拍目に入れることによって、不確定なリズムの日本歌曲の「間」をとっていることが観察、推察されます。つまり拍子でいうと4拍子の曲を2拍子に近い感覚で歌っていることになります。これら任意のリズムをとることは(合唱に於いても)、日本の曲に於いてだけ通じることで、西洋音楽においてはあり得ないでしょう。また学校など各種団体で応援歌に合わせ、手を上げ下げしますが、これも4拍子に対して2回の往復運動です。

日本人であるわれわれの血には“リズムを壊したい、曖昧にしたい、発音をぼかしたい”という潜在意識があり、それが手拍子の“手もみ”など、2倍感覚の拍子になる現象ではないかと思われます。そして24節で述べた日本人の特徴ある体の動きも倍テンポが多い。また再三述べているようにヨーロッパ、アメリカ系は裏拍の感覚 を持っています。従って日本人と彼らとでは4倍のリズム感覚の相違があることになります。フィリピン、ラオス、イラク、西欧諸国など、調べた範囲では手の打ち方の動きに多少の相違がみられますが、手拍子は1拍1つ、腕の振り下ろしは拳を手前に出して1拍1回力を込めています。

 

そして曖昧さは表現の側だけに止まらず、歌曲自体に明確なリズムを感じられないことにも表れています。一例をあげれば「五木の子守歌」「からたちの花」「叱られて」「赤トンボ」など作曲者の意図とは別に、「なに拍子だっけ」といわれ、リズムを手でとりながら歌っても、弱拍から出ているか3拍子か4拍子か判断がつきません。変拍子にも感じられる曲も多くあります。

 

(譜例5)     「赤トンボ」楽譜掲載

 

 

 

「赤トンボ」は元来3拍子(A)です。しかし多少の違和感や不都合があるにせよ、4拍子にしても歌えないことはないでしょう。また三拍子の三拍目からの出発などは最適ではないかと思われます。

もちろんこれらの曲は作曲が苦心さんたんしてさまざまな思考の上に生み出した曲には違いありませんが、このような現象は日本歌曲に於いては珍しいことではないでしょう。また民謡を始め邦楽においては、とても西洋のリズムでくくれるものではないと感じられます。

 

輸入された唱歌をみると、音階の他、訳詞や作詞の問題があるので断定することはできませんが、日本語の歌詞をつけて歌っているのにもかかわらず、原曲と日本語訳された同じ曲を比べると、軽快さに違いが出て来る曲も相当多いはずです。細かい音形や跳躍、また特にの音形が出てくるものは日本的には感じ難いようです。また原曲の曲想とは大きく違って情緒的になっている場合が多く、反対にリズミカルに、あるいは明るくなっていることはないと考えてもよいのではないかと思います。〈→脚注=40〉これらリズムの問題は、民族性もさることながら、言葉の発音が大きくかかわっていると思われます。

 

ここでは上記で述べたことと反対に、日本らしく思っている曲を挙げてみます。

(旅泊〈燈台守〉) 〈イギリス〉   

(庭の千草)       〈アイルランド〉      

(蛍の光)         〈スコットランド〉        

(故郷の空・麦畑) 〈スコットランド〉   

(仰げは尊し)       〈外国曲〉           

(ちょうちょ)         〈ドイツ〉

(故郷を離るる歌 〈ドイツ〉            

(山の音楽家)     〈ドイツ〉         

(霞か雲か)        〈ドイツ〉               

(わかれ)        〈ドイツ〉       

(うるわし春よ)    〈ドイツ〉            

(おお!牧場は緑)〈チェコ〉

(ぶんぶんぶん) 〈ボヘミヤ〉         

(むすんでひらいて)〈フランス〉

(雀のお宿)         〈フランス〉      

 

日本人のリズムの感性は任意であることに大きな特徴を見い出すことができます。その任意のリズムの感性の、最たるものは「鹿威し」(ししおどし)「水琴窟」「風鈴」にみられるように、いつ音がするのか判らない「間」に於いて、音を楽しんだのではないかと考えます。その任意のリズムをとる歌では、民謡、謡曲、俳句もそうかもしれません。日本音楽全般にいえそうです。

 

日本人の4拍子感覚!

私たちは好んで略語を使いますが、いつ聞いても思わず苦笑させられるのが、電子レンジのスイッチを入れることを‘「チン」する’というやつです。

略語は造語や新語でそれを発揮しています。私たちの言葉の多くは3つ1固まり、4つ1固まりがとても多いです。ラジカセ(ラジオとカセット)、ラテカセ(ラジオ、テレビ、カセット)。そしてパソコン、ワープロ、電卓。そしてテープレコーダーはテレコ、テレビは3文字です。変わったところでケンタッキーフライドチキンは「ケンタ」。

車用品、専門用語、その殆んどの外来語は3か4音です。個人の姓名は3音、愛称は4音が、そして地名も3か4音が多いです。

 

拍子に転じてみますと、素人が作る曲、または作曲を志す人たちの初段階では、4拍子を選ぶことが確かに多いように思います。しかし4拍子のリズムで書かれたそれらの曲は、リズムが曖昧で甘い感情を書き綴り、演奏に差し支えるようなものがたいへん多いように思います。それは典型的な日本の曲とも、西洋音楽とも感じさせられないものです。また日本の曲は4拍子に採譜できる曲が多くあります。二本の足で歩くマーチですら、日本人は4拍子を多く選んでいます。余程音楽に習熟しない限り2拍子、3拍子になることはあり得ないでしょう。しかし日本人の作曲したこれらは、述べたように回帰性の強いリズム運動、厳格なリズムの周期性と反復、そしてさらに厳格な構造を感じられるものが少なく、西洋音楽の枠の中でとらえられるものとは根本から違うように感じられます。

 

私が学生の頃「日本人は4拍子の民族だから3拍子が下手なんだ」「西洋人は3拍子の民族だから3拍子がうまい」ということを聞かされ、それは何度となく話題になりました。今だ気にかかっている人も多いのではないでしょうか。

述べたように日本語は3音4音の言葉が確かに多く、別宮貞徳氏は著書 の中で4拍子論を展開しています。また2拍子を唱える人(松浦友久氏)もいます。

----------------脚注----------------

 別宮貞徳著-「日本語のリズム」講談社 / 松浦友久氏は1992年リズム協会で日本人2拍子論を発表

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そして私も同じ様に4を好むということを挙げてきましたが、この厳格な時間ということを考えると、拍子論を肯定できなくなるばかりでなく、かえって疑問が沸いてきます。それは「〜国は言葉が3拍子だから3拍子がうまい、けれど4拍子は下手だ」とは聞きませんし、2拍子が下手だとも聞きません。

あるとき音楽関係の韓国人に拍子のことを聞いたことがありますが「韓国には4拍子の曲を思い出すのに苦労するくらい3拍子が多い」ということでした。質問したことはありませんが、「韓国人はワルツやメヌエットは上手だけど4拍子が下手なんだ」というでしょうか。

5拍子はロシアに多く、ちまたでは言葉の関係から来ているのではないか、などともいわれますが、しかし5拍子の民族がなぜ2、3、4拍子も上手く演奏するのか、そして日本人だけが‘4拍子以外は下手くそだ’ということの説明がつきません。

では本当に4拍子が上手なのかという疑問が起こります。音楽関係者はとても好奇心旺盛で、こうした論に振り回されやすいので一言添えておきますが、3拍子といわれている民族より4拍子の民族と思っている私たちにとっては、4拍子はもとより、述べたように半分に割り切りやすい2拍子は少なくとも、3拍子の民族より上手であってもよさそうです。発音、リズムともに曖昧な民族が、いきなり2、3拍子が下手で、4拍子のリズムだけがよいはずがないのです。

7、5調が多い演歌を含め、日本人は4拍子の音楽を好むと先ほど述べましたし、当時誰がいったのか不明ですが、以前から4拍子論が話題になっていたということは、感覚的に納得できるところもあるからでしょう。しかし〈3章、日本文化から見た感情表現〉でも述べたように、私たちは身近なものより遠くのものを良いと見がちです。特に西洋音楽で育って来た世代、そして音楽関係者からみると、肝心な日本語と日本音楽の関係は簡単に飛び越えてしまって、『日本語のリズム=西洋音楽を基準とした拍子(厳格なリズム)と勘違いを起こすことになります。

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補説25=音楽でいうリズム処理や~

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日本語と音楽でいう拍子との関係は、まだ不明な部分も多いので、私の論理は展開でませんが、私たち日本人の拍子感覚は西洋音楽で使われている‘五線という物差し’を当てはめると4拍子としてまとまりやすい、ということだけはいえるでしょう。その五線に当てはめられた音楽とはいうまでもなく、民謡などの邦楽全般を指していることになります。

五線は記譜や採譜などには便利なものですが、古今東西の日本の曲は時間の概念が乏しく、また日本音階は西洋音楽の平均律や自然音率でもありません。日本語の微妙ないい回しを西洋音楽に比較するには、かなり遠いものがあるのではないでしょうか。

そしてその‘遠さ’とはこれまで一貫して述べて来たように、その日本人の‘血’が西洋音楽を聞いたとき、あるいは演奏したときに出てしまうということなのです。

私たちは『言葉の拍子論』あるいは「拍子」と聞くと直ぐ様、西洋音楽と結びつけて4拍子が上手と思い込むのは無茶苦茶な話しなのです。例え日本語は2拍子や4拍子だとしても、西洋音楽でいう拍子とリズム感覚ではなく、これまでの私の一連の主張のごとく、みる限りに於て、西洋音楽との間に近い関連性は全くみつかりません。

日本音楽も、日本語も、西洋でいうところの厳格なリズムの構造は持っていないと考えます。西洋のリズム感をむりやり当てはめるなら、日本語、日本音楽は自由な1拍(1音もしくは休符)が4つあり、4つの1固まりが1単位になり、それが言葉の都合により繰り返している。あるいは6/8拍子は6拍子でありながら多くの場合2拍でリズムをとるように、基調がきわめて曖昧な4拍子を、さらに曖昧に2拍を一単位、すなわち4/4拍子 *=Rubartにとるような拍子が存在すれば納得できるかもしれません。(述べたように4つでありながら2倍感覚の拍子になる傾向があります。)

 

以上のようなリズムの感性を考えると、日本人は4拍子が得意で3拍子が苦手だという次元ではないのです。2拍子3拍子4拍子全て下手なのです。もし4拍子の演奏は悪くないとするなら、4音1かたまりの日本語と、曖昧なリズムの影響から強弱の少ない滑らかな4拍子だけが、辛うじて日本人の感覚に合い、そして無難に聞こえているだけの話しなのではないでしょうか。

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補説26=民族の発音といい回し~

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本章では日本人のリズムの処理について具体的に検証してきました。その特徴は発音のタイミングと語尾、スタッカート、そしてリズミカルな3:1のリズムや休符(呼吸)に顕著に見い出せたわけです。そして特にスタッカートや休符などの、空間処理(間)は西洋音楽でいう、時間的にしっかりとした緊張を呼ぶ“休符”(間)ではなく、むしろ邦楽、童謡などのフレーズのつなぎ目、または小さな間の処理の‘はかなさ’などを表現する任意の‘間’と酷似している現象です。そして2章3章で述べてきたように、それは曖昧さを表現するために言葉をいい切らず、故意に語尾を引っ張ったり、言葉を濁したり、間を取ったりする時と同じような方法です。すなわち男性の演奏は男性の喋り方に、そして女性の演奏は今の若い女性にみられる喋り方、語尾を故意に伸ばし、曖昧さと不安心理を与え、同調を求めるような喋り方と酷似しているのです。〈→23=日本人の会話〉共通点は整然と並んだ定期的であるはずのリズムを、なぜか崩そうと努めてしまいます。これらは未熟ゆえに起こる事もありますが、歌心を積極的に出すために起こる場合もあります。それは潜在的に身に付いた習慣が出てしまうのです。そして母音を出そうとする心理やいい切る事の不安、あるいは私たちの日常の無意識の生活習慣が音楽表現に出てしまうことになります。(表現の違いがなぜ生まれるかについては5章2節で述べる。)その結果、いずれにしてもリズムは二義的扱いにしてしまうことになるのです。

私たちの多くもそうですが、述べたように邦楽と縁遠くなっているロックで育った若い人たちでさえ、なぜかこれらの日本的手法をとってしまいます。

すなわち一般的にいうと、日本人にはリズムやフレーズ感覚がないことがあげられ、その結果リズムを守って演奏する事に不自由を感じる事です(自覚は少ない)。西洋音楽の定期的で、整数で割り切ったような繰り返しのリズムと、そして明確な発音を日本人はたいへん不快に感じるのではないかと思われます 同じく日本人はこの立ち上がりのよい発音とスタッカートは、国民性として極めて苦手であり、嫌っていることがさまざまな理由から確認することができます。〈→35=判断基準のまとめ〉〈→22=奇怪な現象

そして日本人に備わった歌心は、リズムを任意にする(時間的に不規則)、崩すことにあるのだと考えられます。極端ないい方をすれば、日本に於いては西洋的な“拍子とリズムの感覚は無い”といっても過言ではないと思っています。

----------------脚注----------------

 自覚は少なくても不自由に感じるものですし~

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終節〈楽器比較〉=言語と楽器の関係=

1.西洋楽器の特徴

まず、日本の楽器を検証する前に、西洋の楽器の特徴と発展の仕方を考えてみることにします。

西洋音楽で使う打楽器は、叩いた瞬間の響きが極めて大きく、そのように作られ、または改良されてきました。それは早い立ち上がりで性能を発揮できるような構造にできているということになりますが、ピアノや管楽器についてもまったく同じ事がいえるでしょう。そしてまた弦楽器においては古楽器と比較すれば判る通り、指板の角度や弓の構造を改良し、音量とともに音の立上りをよく、大きな表現が出せるように改良されてきました。

今日まで発展して残って来た楽器を考えると、いくつかの特徴をみることができます。

 

a)子音の発音がはっきり出るもの、力強いものが残る。

b)音量が出るもの。                   

c)音域が広いもの。

d)音の移行に自由がきくもの。 

e)音程がよいもの。      

f)音色に特徴があるもの。       

g)扱いが簡単なもの。(改良の余地のあったもの)

h)息の流れに濃淡の変化が出せるもの。

i)より直接的に感情表現ができるもの。

     上記に準じるいい回しのできるもの。

 

西洋楽器では日本とは対照的にグラスハーモニカに代表されるように立ち上がりの弱いもの、音量の自由がきかないものは消える傾向にあります。

チェンバロ、チェレスタ、等もそれらの仲間にあたるかもしれません。またグラスハーモニカ、ビオラダガンバ、リコーダ(縦笛=発展してない。)、リュート、これらは大作曲家が曲を書きながらも消えつつあります。そして楽器も進化しているわけですが、社会の要求に答えられないものは日の目をみないうちから消えたことも考えられます。そして発展途中で楽器に起こったことは。

国際的になるにつれて民族的な特徴が消えて来た。

時代が進むにつれて表現力が増えて来た。

 

2.日本に無い楽器は!

これまでさまざまな違いを比較をしてきました。これほどの違いがあるなら当然、庶民に愛された和楽器に、西洋との決定的な違いが何らかの形で出ていてもよさそうな気がします。

述べて来たような日本人の感性から考えると、

1) 子音と母音の関係    →“揺(ユリ)”や“送り音”など、母音の歌い回しができない楽器。

      すなわち音程の定まった楽器は嫌われた。

                                                                     〈→24a=母音を歌い回す民謡〉

 

2) 余韻や間の特性     →音圧の高い楽器。

    すなわち減衰のない楽器は嫌われた。(持続音で大きな音)

3) 音の立上り特性   →子音が強い楽器、

        発音が自由にならない楽器は嫌われた。

 

以上が好まれなかったと推察されます。

また雑音(さわりなど)をいかに扱っているか、なども重要な着目点です。また西洋楽器の特徴とを比べてみると反対の特徴を持ったものばかりです。これらの特徴を追って西洋楽器と和楽器を検証してみます。

注=楽器も音楽比較と同じ考えで導きます。音階の問題があったことは想像できますが、気に入った楽器であれば改良という日本人の最も得意の手段があったはずだということを、念頭においてください。また「聞こえない」で述べた一連の‘雑音’という問題は音の立上り時のことであり、さわりとは別の問題である。(雅楽は現代の中国より中国古典を受け継いでいるといわれているので、雅楽の楽器は省略し、庶民の楽器を考えていきます。)

 

a.管楽器

トランペット族、2枚リード族は立ち上がりが早く、音圧が高いので‘あわれ、はかなさ’を信条とする日本人には好まれなかったろうと考えます。1枚リードのクラリネット族もありません。(ほら貝は除外、チヤルメラは楽器ととして扱われなかった。)それらの楽器はシルクロードにのって中国にも入っていたのに、なぜか日本には見あたりません。

西洋の管楽器は円筒形か円錐形で子音が強く、立ち上がりが極めて早い構造で、ベルと呼ばれる先端は広がっていて、よく響くように作られています。音程が決っていて母音の歌い回しが困難です。当然日本的な語尾変化が出せませんので余韻や間などつけようがありません。

 

b.撥弦楽器

三味線の指板にはフレット(音程の区切り)がなく、音程が自由です。琵琶はフレットがありますが、押し方によって微妙な音程調節が可能です。そして両者とも弦が本体にふれる“さわり と呼ばれる微妙な味わいを出せ、バチさばきによって多彩な音の変化が可能です。琵琶はその極致をいくものではないかと思えるほどです。

----------------脚注----------------

 さわり=代表的な〜

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*  c.打楽器

 

子音の強い楽器といったら打楽器ですが、それはたいへんな数があります。打楽器は打撃音が強く、日本人は子音を嫌ったから「立上りの弱い打楽器が云々」などとは考え難いことです。打楽器は上記の特徴に当てはまらずに、全部例外などということは詭弁に過ぎないことになってしまいます。しかし、

その役割や特徴を考えてみると、大きな違いを見い出せることが判ります。その特徴とは「にょう八」と呼ばれるシンバル状のものを例外として、殆んどの現存する打楽器に於いては打撃音が極めて小さく、余韻が長いか、木魚、鼓のように1音の中に変化のあるものばかりです。打撃音が小さく、母音が長い楽器の典型はお寺の鉦かね類や「釣り鐘」があります。余韻の長い釣り鐘は3分にも達するものもあり、おまけにこの余韻の「間」には「こぶし」的な定期的な波があります。これは日本人の発明だと聞きます。

和太鼓類も打撃音は少なく、胴は中膨らみか円錐形でよく響きます。これは西洋の教会にあるベル、小太鼓(スネヤードラム)類など、子音時に最大の音量の響きになる楽器類とはきわめて対照的です。鈴の類もいきなり響かず情緒的な楽器と呼べるでしょう。

西洋の効果音的雑音の打楽器は、東南アジアにはみられても、日本では祭りの時に使われるチャンチキや拍子木の類くらいしか思いあたりません。 (伝統的な儀式に使われる楽器はさまざまです。)

 

----------------脚注----------------

 和太鼓で私たちがよく聴いている〜

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d.ギターと木琴類と打弦楽器   *

 

日本は木と竹の文化を育ててきました。当時日本中、森と竹藪だらけだったはずなのに、竹で作られた楽器が尺八と横笛の類だけなのは大きな疑問です。東南アジアは竹の楽器の宝庫、といってよいくらい竹の楽器だらけなのに、なに故か竹の楽器が少ないのです。というより無さ過ぎます。

竹は、木琴類にはうってつけの材料のはずですが、日本には木琴類は皆無です。木で作られた楽器も三味線、琴、琵琶、太鼓類の胴くらいなものでしょう。

ギターは哀愁のあるとてもよい音がする楽器で、ブームを起こしたことも幾度となくありましたし、エレキギターに関してはロック、ジャズバンド、そして演歌でも欠かすことのできない楽器です。現代ではよい音がすると思う楽器ですが、ギターらしきものの痕跡もみあたりません。比較的原始的な打弦楽器もありません。

これらの共通点は音程が決まっていて、歌い回し(母音)がきかない事です。そして木琴類は想像以上の子音の強さを持っています。(リズミカルで情緒的表現が出せない。)その意味で石の鍵盤もなければ、木の鍵盤楽器も使われることがなかったのでしょう。

 

音圧の高い楽器の西洋楽器は、‘はかなさ’を信条とする日本人には押しつけがましく感じたろうことは想像できます。しかも日本の音楽にはそのような歌い方がない。

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補説27=演奏法で気になっている一つに〜

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補説28=三味線や琵琶などの‘さわり’〜。

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*妙薬45=日本人が苦手な西洋楽器

日本人は言葉のように〜

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以上のような理由から洋楽器は嫌われたのではないかと考えます。

 

3.世界中にあるフルート、ヴァイオリン属 *

*世界中にあるのはフルート属と、弦楽器類のヴァイオリン属です。この2種類は立ち上がりの発音、持続音のスピード感、質感、そして減衰、音程にたいへん自由がきき、自由な歌い方といい回しができます。すなわち自国言語の発音に比較的近いいい回しができるためだと推察できます。

日本においてはヴァイオリン族は胡弓、フルート族は尺八、各種の和笛、この類だけがたくさんあります。(秀吉が弦楽4重奏を育てた事は知られています。)

独特の発音と習慣と感性を持った日本においては、こうした日本語の特徴を満たすそれらの楽器を除いて、庶民に認知されなかった、あるいは使いこなせなかったのだと推測できます。民族の言語習慣が根底にかかわり、色濃く楽器に生きているのだと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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*妙薬30=音楽は体が語る

音楽は体の持っている表情と、呼吸の持っている表情とをからませて表現するわけですが、その上にリズムや音程等の表情が加わり、複雑な表現を出すことができるわけです。しかし‘自身の生理的な現象’をともないがちです。演技者である演奏者は意識的にそれらをコントロールしなければなりません。

=体と呼吸で表わすことができる表現と表情、そして自らが知らずに感じるている呼吸がおよぼす心理。

=平均律や純正律の事ではなく、音程がもたらす心理をいう。

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補説16=一時代前の電子楽器は音の羅列で、上記でいう音の効率などの音の変化に極めて乏しく鑑賞にたえられませんでした。例え音の羅列だとしても音楽には変わりありませんが、そこには演奏者の感情が入る余地が少ないのです。

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----------------脚注----------------

 私が使った方言の中にもいくつか覚えがありますし、現代若者言葉の中に接頭語的言葉をつけたり、英語と混ぜて強調していったりすることも、その類ではないかと思えます。

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*妙薬31=音楽の音韻

言葉は優しくいうときには柔らかい発音で、厳しくいうときにはきつい発音でいい回します。楽器に不慣れで演奏が不自由なためか、いつの間にか、その言葉が表わす‘世界共通の心理’のお手本なしに、音楽の為の特別な方法を、すなわち自分の都合による音の羅列という、現時点の自分にとって(とりあえず)最も都合のよい方法をとってしまう、あるいはとらせてしまう事にあるでしょう。

 

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補説17=音楽を聞いて大脳がどう動き、心理にどう作用してるのかということは判りません。一般的には音楽を音の羅列(メロディー)と組み合わせ、書かれたリズムのみを音楽として解釈される傾向がありますが、潜在的には旋律、ハーモニー、リズムが、呼吸や体のリズムと関係し、深く心理に作用してると思えます。

人間は自らを知的動物といい、知性が全てを支配し、動物とは遠く離れた存在であるかのような錯覚を起こしています。しかし歩行一つを考えてみても「右の足を出して、体重移動して」など意識に出すことはありません。人間と犬猫との違いは自我の有無で、犬猫など自我のない動物は本能的に生かされている部分がほとんどでしょう。しかし人間の自我、つまり知性、あるいは思考そのものも、潜在的には動物的本能(欲得も含め)の上にたって良し悪しを判断している事も多いものです。音楽を意識的にいうと、音ということになりますが、人間は呼吸、体、息の流れ、体の作用などはなかなか意識できませんし、ましてそれが潜在意識からどう心理に作用し、音楽を判断しているのかなどの分析はとても難しいものです。

 

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----------------脚注----------------

 時々ブレスコントロールという言葉を聞きます。「呼吸法」にも吸い方のイメージがあるように、同じく息の吸い方のようなイメージを受けます。本論では吐き方のコントロール、つまり息の使い方を‘息遣い’と呼びます。

 

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*妙薬32=ブレスは接続詞

穏やかに喋っているときには急なブレスはできないし、反対に感情的に喋っているときにゆっくりなブレスはできません。すなわちブレスは自分、相手双方に影響を及ぼす言葉の前後のたいへん効果的な接続詞であり、また語尾の感情を受け継ぎ、次のフレーズの予告でもあります。〈→追旨1-2=タイミングと呼吸の相関関係〉

 

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*妙薬33=リズム音痴原因は

このリズムの逆転現象、躍動感のない演奏、そしてテンポの定まらない演奏は、強弱アクセントや言語の習慣、腹の溜などが原因していることなので、メトロノームを使っても解決できるものでないことだけは確かなことです。

英語で歌詞を歌わせたながら演奏させると防ぐことができる。次章を参照。

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----------------脚注----------------

 実例を挙げることは差し障りがあるので、日本歌曲のCDなどを聞いて比較して頂きたいという事に留め、一般にわかりやすい例としては、甲子園で行われる春夏の高校野球では勝利チームの校歌が流れますが、そのときを思い出して下さい。専門家の歌よりも、それほど上図でない生徒たちの歌が流れる方が余程しっくりくる、と考えるのは私だけでしょうか。

 

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補説18=これまで述べてきたことと同根だと思いますが、日本のそれらの曲を正確にあるいはリズミカルに(に近付けて)歌おうとすると、腹が使えないために音(おん)と音の間に口を細め、微妙な「ンやッ」に近い発音が入ります。その動作が日本人独特のスタッカートの処理、又は語尾の処理なのです。

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----------------脚注----------------

 歌詞は違いますが外国から入って私たちが馴染みの曲をルチア・ポップが歌っているものがあります。参考のためCD番号を挙げておきますので、比較されると面白いでしょう。ルチア・ポップ/ドイツ子供の歌、OCD-2013(CO78 831A)

 

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補説19=子供の覚えたての言葉は日本語の語順と違い、目的とする言葉が最初に来てしまいます。それを聴いた親は戸惑ったり、直したりしますが、感情が先に来るいい方は西洋の言語の配列と似ていることがあります。また子供を観察するとリズムに対して敏感ですが、喋り方を覚え、社会性が出て来るに従って失せていく気がします。この両者の関係は不明です。

 

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----------------脚注----------------

 マルカート=目立つ、はっきりした、強調された、の意味で、音の一つ一つをはっきりさせること。と各種辞書にはでているが、記号や用語は慣習的、経験的行われていて各人各様に理解している事が多く、このマルカートについてもいつかの意見に別れる。従って本書では柔らかく切る。はずむように切ると言う意味合いで使用し、以下その奏法や問題を述べていくことにする。もし本書の用語が違っていると思われたら、読者が理解している用語に置き換えて頂きたい。

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----------------脚注----------------

 レガート=滑らかに演奏すること。スタッカート=短く切るという意味。

 

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----------------脚注----------------

 大体中位のテンポ、メトロノームで4分音符90位のテンポで、8分音符位がおよその判れ目になるでしょう。余韻は楽器の響きと考えた方がよいですが、曲想に合わせ、余韻の長さを腹で調節するのがマルカートの表現です。

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----------------脚注----------------

 ダブルタンギング=言葉でいう〈トゥク トゥク〉、トリプルタンギング=〈トゥ トゥ ク〉もしくは〈トゥ ク トゥ〉。〈トゥ〉はシングルタンギングと同じ舌の運動。〈ク〉は言葉の発音とほぼ同じ舌の付け根の運動。

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補説20==私が聞いた一番速いシングルスタッカートはMM*=176*16分音符を演奏していました。因みにこの速さは1秒の間に約12個の16分音符を入れるスピードです。16分音符1個あたりの通過時間は0.085秒、それは振動体を振動させ、止めるという動作の繰返しが0.085秒以内に行われているわけです。(上記計だと0.0425秒になる。)

音と時間の関係は追旨2-3に解説。

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 補説21=ひどい障害の場合には、タンギングが平均の3分の2位の速度しかできない人、2~3オクターブの音階全てに乗り遅れる人(メトロノームあるいは予定している体のリズムに対して)、雑音が伴っている人(単純な音階にもミスを伴ってしまう人)もあります。また喉や舌の付け根に力を入れたり、顎を使ったり、またそれらを補助的に使って音を切っている場合もしばしば見受けます。またその障害は深刻ですが、発音のタイミングを治すことによって、その治療は簡単です。

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補説22=舌の動きは体が感じるリズムとは反対の動作をしているわけです。スタッカートでもテンポ、曲想によって表情が変わりますが、曲の始まりやフレーズの継目、アーティキュレーションによって音の立ち上げ方はさまざまです。(タイミングは一つではない)すなわち点前を短く取ったり長く取ったり、リズム核前の舌を離す時刻はさまざまです。

演奏において体が感じるリズムに合わないのは、この舌着きと音を予測して運ぶ指くらいなものです。喋ったり食べたり、舌は自在に動かしています。〈→追旨2-1d=音のタイミングと運指と舌の関係

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*妙薬34=認知は息と体のリズム

不慮のでき事が起こると一々状況を判断し、対処に追われるため極端に処理速度(この場合はスタッカートです。)が落ちることになります。また音楽は音を扱うため、人間の脳はいかにも音を認知しているように思いがちですが、私のこれまでの経験からすると、音よりもむしろ音に伴う息の流れや体のタイミングを強く認知していることが多いと考えられます。〈→第1章=リズムを定義する〉

 

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----------------脚注----------------

 もちろんこのことは音楽に限らず、人間の心理や脳の働きを考えれば当然のことで、人間の感覚全てにおいていえることです。

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妙薬35=演奏は頭でするな

音楽はたいへん高度な処理能力を必要とします。上達できるこつは音楽の処理をできるだけ単純作業に置き換え、あるいは体に覚えさせて感覚的な処理に置き換え、潜在的にも考えることを少なくすることです。特にスタッカートや早い曲芸的な音符、早い音符に対処するためには、情緒を入れる余地のない演奏法を作る必要があります。その反対は、障害が多い程、情報処理に追われるという悪循環になります。

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*妙薬36=スタッカートが無い日本の文化

腹の俊敏性を養う訓練やスタッカートの訓練が完璧にできている者でも、曲を与えるとスタッカートやマルカートの扱いに戸惑う様子が観察できます。日本語と日本音楽にスタッカートの習慣がないためイメージが持てなく、近い処理をあてはめることになります。

発音の方法と同じく、スタッカートなど、音を切ることの処理の知識と方法を学び、正確なセンスを身に付ける必要があります。

述べてきたように、センスの問題だけではなく、日本語には腹で発音する習慣、切る習慣、「ッ」の発音ができない、一音処理になるなど、スタッカートに対応する言葉の習慣がないためです。

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*妙薬37=音楽は発音の方法とタイミング

音楽の諸弊害、つまり上手くいかないと思う原因、または日本人がテクニックに苦しむ原因を探ると、その殆んどは発音の仕方(音の立ち上げ方)に問題が集中している、といっても過言ではありません。音符の‘時間的な処理’の仕方に欠陥があるのです。

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私の目から見た日本人に起こる西洋音楽のスタッカートや発音の弊害は、克服するためには次のような極端ないい表し方が必要でしょう。

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*妙薬38=“スタッカートは太い無声音から発する子音”と認識すべきです。母音は自然に付いてくるものです。〈→追旨2-5=TuDu

 

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----------------脚注----------------

 後乗りのリズムは人間の心理として世界共通して歌心を感じさせますが、ヨーロッパ、アメリカ音楽を比較してみると情緒的な音楽でも前に乗っているこが確認されます。これらを詳しく述べると厄介なことになりますので、日本歌曲とアメリカ歌曲の歌い方の違いから、その実体をつかんでいただくことにして、日本音楽は全て独特な後乗りであることを検証していきます。〈→追旨2-9=乗り〉

 

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*妙薬39=すなわち乗りがよい、ということの一面は、細かな周期性のリズムをとり(単位を細かくとり)、音の強弱の変化が激しいことに他なりません。(テンポが速いことにも通じる。)

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----------------脚注----------------

 単語は音節(シラブル)に分けることができるが、さらに音節を構成する一つ一つの音を〈音素〉と呼んでいる。

 

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*妙薬40=英語でDolce

前記、譜例1-ABCDそして譜例4など、一般に広まっている日本語訳がついている英語の歌を各例のように、言葉を想像しながら演奏させてみると、英語での演奏では「発音のタイミング」「リズム核と打点の一致」(打合している。)「リズムの正確さ」「音量のふくよかさ」「柔らかさ」など、日本語の曖昧なリズムやこれまで述べた障害をたいへん見事に克服させることができます。さらに楽器の扱いや演奏者の精神的満足感まで得られることになります。

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*妙薬41=英語の発音で障害を克服

英語の発音の習慣を身に着けさせ訓練することで、日本的習慣やそこから芽生えた悪い習慣が排除でき、発音のタイミング、リズムの乗り、呼吸、西洋音楽に必要な基本的な条件全てがそろうことになる。

4章1節a〈日本人のリズム感覚〉で述べた*のリズムの曖昧な処理も、英語で演奏することにより、ある程度解消させることもできる。

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補説23=性格や年齢、性別よって発音のしかたに多少の違いは認められますが、日本語は母音を発音する際にも、咽を閉じてから発音する場合が非常に多い。また咽を開けた状態から発音する音の典型は「ハ行」にありますが、「ヤ、ヨ」の発音はそれぞれです。

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*妙薬42=音程、音色の誤解

弦楽器を含め、アンサンブルにおいて音色、音程、出てくる音がすっきりしないなど、多くの問題点の源に、発音のタイミングと積極性を挙げることができます。また音色や音程に個人差が生まれる原因にもかかわりを持っています。

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この問題は発音特性や性格と楽器の構造、そして呼吸や心理や認知、各項目にそれぞれ関係しています。〈→追旨=2-4=音色と音程〜/2-9=乗り及び追旨=3〉に関連記事があるので参照して頂くことにして、ここでは私のこれまでの経験や実践からいえる、と結論だけ述べておきます。

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補説24=T,-ch,-s,-shなど、英語ドイツ語は語尾の子音をはっきり発音します。そのため一音符に入れる単語の語尾を発音するためには、明確なリズムが必要となります。

譜例1-C-5White christmas〉では装飾音符と音符で示しました。譜例4〈Silent night!〉では音符のみを使って記しましたが、同時参照してください。

 

(譜例4)tonight        -T,-ch,-s,-sh3-4 例入れ

 

また発音の構造、譜例2-cでrecord  show  progressを分割しましたが、それがアップビートを生み出す元になり、またリズムの分割のし方次第で、シンコペーションも多様に生み出すことができるはずです。ヨーロッパ音楽は常にリズミカルだという理由は、これらの習慣が音楽の流れとして出ている点にあると推測できます。

一方日本語の発音では子音が細いため、打合点(リズム核)が不明瞭になるばかりでなく、一音一音符を当てはめ、全ての語尾が母音で終わるため、一音が分割できません。それもリズムの曖昧さを生み出す一因ともなっているようです。そして終りの拍は特に‘間’や‘はかなさ’など微妙な表現が可能となります。日本音楽のそうした構造を言語が持っています。

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*妙薬43=西洋音楽の言語

日本人は西洋音楽に対してまで、日本語の子音と母音の組み合わせ、そして音程アクセントと文法(喋り言葉)をあてはめてしまいます。そのために楽器が正しく発音されず、立ち上がりの部分が失速し、雑音が付いて(付けて)しまうことになります。

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*妙薬44=リズムの曖昧な日本語で西洋音楽を演奏

日本語には拍の裏表のリズムの感覚が無い。そのため西洋音楽に対してそれらの習慣で行うことになる。裏拍を常に感じながら演奏することが大切です。

 

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----------------脚注----------------

 別宮貞徳著-「日本語のリズム」講談社 / 松浦友久氏は1992年リズム協会で日本人2拍子論を発表

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補説25=音楽でいうリズム処理やリズム感覚と拍は隣合わせにありますが、「何々民族は〜拍子、云々」というと、私たち演奏者は、自分たちの演奏に大きな解決の糸口がつかめたかのような錯覚を起こしがちです。しかし一般にいう拍子論は大きな枠組みだけをいって、音楽のリズム感覚や表現に関係ある「時間的な問題」、すなわち、いかなる周期性と発音特性があるか、まで触れているわけではありません。音楽を勉強する上において現実的にはリズム処理という、もっとミクロの問題と闘っていることを忘れてはいけません。リズム感は言語の発音や処理の仕方と密接な関係にあります。

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補説26=民族の発音といい回し、抑揚、言語アクセントの種類などの関係から、中国、朝鮮、東南アジアに関しても、西洋音楽でいうところの時間的に厳格なリズムや拍子が当てはまるかどうかもたいへん疑問なことです。拍子の感覚とリズムの乗り方は民族独特のものがあります。

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----------------脚注----------------

 自覚は少なくても不自由に感じるものですし、西洋音楽を演奏させると、それらが顕著に出ます。またどこか骨格を崩した演奏を‘よい演奏’と潜在的に思っているのです。試験やオーデション、各種のコンクールなどでの審査員の判断はそのようなものが多いように感じます。

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----------------脚注----------------

 さわり=代表的な楽器は三味線と琵琶ですが、弦を弾いた時、揺れている弦がさおの上部で軽く触れる構造になって、独特の味わいを出しています。それはギターやピアノの弦に木切れや金属を触れさせたとき響きが濁りますが、その構造を楽器が持っています。各国の民族楽器に多くみられます。

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----------------脚注----------------

 和太鼓で私たちがよく聞いている馴染み深い使い方の一つに、次第に早く打ち最後にトレモロになる表現がありますが、これは譜面に書きようのないリズムの構造を取らないものです。この表現は民族音楽には多少あるようです。

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補説27=演奏法で気になっている一つに、尺八は「首振り三年」といわれ、首のビブラートを使って、なぜ腹でかけなかったかという疑問がありました。フルートに比べると息ではかけ難いということですが、それが主な理由ではなさそうで、歌い回しや音程操作、ビブラート的なものが混同しているためで、西洋音楽の一定枠の中でかけるビブラートとは根本的な違いがあようです。

小さな揺れを‘ごろ’大きな揺れを‘ユリ’、また首を振る方法に「縦ユリ」「横ユリ」「息ユリ」などの名称があるようですが、節回しの方法や言葉の用法については、人によってニュアンスの違いを感じますので、邦楽全体に統一された言葉かどうかは不明です。

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補説28=三味線や琵琶などの‘さわり’を考えると、響くままにする純粋な音も嫌った気配があります。朝鮮には横笛の歌口近辺に触りのように共鳴する紙が貼ってあるものがありますが、日本にはみられません。それは私が聞く限りにおいて感性に合いません。反対に竜笛のようにわざわざ吹き難くして大きな音と変化を求めたものに改良されたものもあります。この竜笛には日本的精神を濃厚に感じます。さわりと母音と小節は同根だと考えます。

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*妙薬45=日本人が苦手な西洋楽器

日本人は言葉のように、子音から母音へと後ろへ発音します。従って〈楽器と言葉の関係〉で挙げたような特徴を持った西洋楽器を、日本人は‘使いこなせなかった’のではないかと推察できます。例えば、音の立ち上がりがよく作ってあるものは、そのような‘発音’つまり無声音があり、子音が太くないと鳴り難く、従って上達が難しいのです。私たちの西洋楽器の扱い方は、最も鳴り難く、上達が難しい方法を選んでしまっています。述べているように西洋音楽の成立ちと特徴に対応することが重要です。

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