それではまず山ふところへ入る前、音楽秘薬の里までの間、音楽のよもやま話しをしながらご案内することにしましょう。
音楽の病では専門知識、経験の有無、レヴェルによってその自覚症状はさまざまです。ちょっとした自覚症状でも、病巣はたいへん深いものです。私たちは「音楽は〜」とよく口にしますが、その裏にはたいへん複雑な現象がひそんでいます。
空気の澄んだ山へ行った時、夜空に広がる一面の星空に天の川を見つけ、しばし我を忘れ、美しさに見とれることがあります。その大きな不可解な世界に不安を覚え、自分の姿を投影させ、しばし感慨に浸ります。が私たちの多くはその神秘さを語る言葉を持ち合わせていません。ロマンに満ち溢れたこの不思議な宇宙は、いつでもわれわれを遠い神秘の世界へといざなってくれます。しかしその宇宙も物理法則という整然とした関係を保っています。
音楽もまた人間の理性と感性の微妙なバランスの上で保たれている芸術です。その美しさを私たちは時々言葉で表現しますが、不可解な人間性、感性がからんでくるやいなや、全てを言い表わす事は不可能になります。理屈を考えながら音楽を聞くことは楽しくありませんし、また知識を越えるよい音楽に巡り合ったときの感激はとても言葉になるものではありません。しかし音楽を勉強する側にとってみれば、理論抜きに勉強すること、つまり抽象的言葉や感性のみに頼る一辺倒な教育を受けることは根本的な取り違いを起こすことになり、かえって混迷を深くすることになりかねません。
私たちが音楽を語るとき、こんな言葉を連発していないでしょうか。「ベートーヴェンの音楽は〜」「モーツァルトは〜」「音が汚い」「心が感じられない」。また生徒を教えるとき「きれいな音で」「もっと愛らしく」「丁寧に」「音楽的に」「気持ちを込めて」。極端な場合には、子供に向って「天使の声を聞きなさい」、などとも聞いたことがあります。私にとってみると極めて不可解な発言に思われますが、言っている本人のそうした自覚は極めて少ないようです。
絶対的基準のない音楽のことですから、ヨーロッパの教育でもそれは例外ではないでしょう。メロディーを口づさんだり、演奏して模範を示してあげたり、また自分の気持ちを抽象的な言葉に置き換えながら意志を伝え、教えているわけです。この意味では日本の音楽教育の方法も西洋のそれとなんら変わるわけではありません。しかし本当にそれでよいのかという疑問が起こります。なぜなら彼らにとってクラシック音楽 は自国の音楽↓です。
-----------➡(脚注→ 本書で用いる-----➡
西洋からみれば外国人であるわれわれが、西洋人と同じ教育方法をそのまま援用しても差し支えないものでしょうか。
同国人同士でも、生まれや育ちが違えば受け取り方に違いがあるように、ましてや文化が違えばイメージすることが違って来ることは当然です。国と国のあつれきはいつの日もそれが原因ではないでしょうか。私たち音楽にたずさわる者が用いる抽象的表現、技術論は、西洋的感性と日本的感性の相違を区別し理解して使っているでしょうか。
そして指導者の音楽的要求に対して演奏者は、真にクラシック音楽の手法(方法)と感性に乗っ取って、音楽表現しているでしょうか。また聴き手が西洋音楽的感覚と基準で鑑賞しているでしょうか。
音楽には国境がないといわれていますが、私たちが用いるこのような抽象的表現や技術論、またアドバイスはあくまで無意識のうちに日本的感性が反映されていることを認識すべきではないでしょうか。
音楽と人間との関係は、私たちが星空を眺めるがごとくまだまだ神秘のベールにつつまれたままです。物理学は宇宙の法則を理解するためにミクロの世界の法則を用いようとしています。同様に、音楽をより深く理解するためには、壮大な音楽論を語りながら神秘性に陶酔するよりも、ごく身近な現象を微細な観点から分析していくことが大切ではないかと思うのです。
A〈音楽についての素朴な疑問〉
まず、本論に入る前のこの序章では、私たちが思う素朴な疑問と演奏する際の一般的な障害を観察することからはじめることにします。皆さんは下記のような疑問を持ったことがないでしょうか。
音楽鑑賞時の疑問として、
A.自分がよいと思った演奏が必ずしも他人と一致しない。
B.音、表現、音楽性など、個人差はどうして生まれるのか。
C.国によってどうして表現に違いがでるのか。
D.よい音、音楽的な音とは。
E.音楽性、芸術性とは。
*これらの疑問を少し深く考えてみましょう。
1.日本人の音楽表現と外国人の音楽表現の違いがあることは、専門的に勉強した人たちに限らず、皆知っているはずです。また専門家は西洋人の演奏を聴き、それを目指して来ているはずですが西洋的な表現にはなりません。原因は何なのでしょうか。
2.音楽表現の感性感覚は、国ごとに共通性(国籍)があります。それらがどうして生まれるのでしょうか。
3.外来演奏家、CDなどを注意深く観察してみると、そこにはある一定の法則性、すなわち日本人に共通した好みがあることが判ります。
ーーーーーーーーーーーー-➡補説1
4.(留学も同じ事がいえると思いますが)外国人演奏家が日本に来て教える時、私が接する限り最も日本的だと思うような演奏をほめる時があり、またその反対に徹底的に直される時もあります。
*演奏経験者の疑問として
1.なかなか上達できないので自分には才能がないのか。
2.指が回らない。 3.ミストーンが多い。 4.音が出ない。
5.奇麗な音がでない。 6.腹式呼吸ができない 7.間違いが多い。
8.音がひっくり返る。 9.ミスタッチが多い。 10.タンギングが遅い。
11.リズムが悪い。 12.初見演奏が上手くいかない。
13.アンブッシャーが〜(マウスピースのあて方、くわえ方)。
14.プレッシャーばかり感じ15.勉強している割にうまくなれない。
16.人に負けない感性を持っているのに〜、
17.どうしても先生に叱られてしまう。
18.自分の録音を聞いてみると上手くない。
19.音感は悪くないのに上達できない。
20.他の人と演奏法、音程、音色など論争の種となる。
本書ではこれらの素朴な疑問や問題について次章以降で述べていきますが、それぞれが複雑に関係しているので、一つ一つを取り上げ分析することはかえって混乱を招き兼ねません。それは次章以降の論旨を理解されることにより、自然に解決できる問題だと思われますので、その前に以降展開する論理の理解に役立つと思われる重要な例のいくつかを、この序章で紹介してみたいと思います。
☆☆☆
一般的にいうと、楽器には比較的上達しやすい楽器と、上達に時間がかかる楽器があります。そしてまた、各人の性格によっても多種多様な現象を生み出します。
例えば、楽器を持って半年か一年くらいの、あっという間に上達してしまう人もいれば、満足に音も出せない人もいます。また楽器の種類によっても進歩の度合が大分偏っています。また世にいう「天才」と呼ばれる人が出やすい楽器があることも事実です。
反対に上達の早い楽器の中の人でも、落ちこぼれてしまっている人もいるわけです。しかし不思議なことに落ちこぼれた人達の中にはたいへん音楽的で感情豊かな人も、また反対に上達が早く、テクニック的に優れた人の中にもたいへん無神経な人をみかけることもあります。これらの疑問は努力とか天分といっても納得できないものを感じますが、それらの疑問は、上達の薬を探すための大切な手掛かりになるのです。
B.音感についての誤解 =音感なんて無い方が幸せ?=
一般の人たちが演奏家に対して最初に抱くイメージは‘耳がよい’あるいは‘音感がよい’ということかもしれません。また楽器の演奏に迷いが生じたときに、才能という観点から自分を疑うのも、これらの感覚のことではないかと思います。そこでこの『音感』という感覚をいろいろな角度から眺めてみることにします。
一般によく知られている音感は二つあります。固定音感(絶対音感)と移動音感(相対音感)です。固定音感は5、6才より前に音楽を始めるとつくといわれており、年が上がるにつれて身に付き難くなってきます。いわゆる移動音感となるわけで、私もこれに属します。多くはこの2つの意味で使われますが、「音に敏感かどうか」「音楽の才能があるか」という意味合いでも使われます。
私たちは普段、多くの感覚を働かせて生活をしていますが、その感覚を分析することは稀です。また仕事などで身に付けた鋭い感覚もあります。
例えば〈無線技師の耳〉〈水道局員の漏水を検知する耳〉〈聴心器で診断する内科医の耳〉。これらはある程度の適性もあるとも思われますが、音楽ほど露骨に言われることはないでしょう。
次もまた人間が秘めている音に対する能力の一つの例だと思いますが、車にクラクションを鳴らされても平気で道路の中央を堂々と歩いている人や、横断歩道で立ち話しをする人などには時々閉口させられることがあります。もしこの人達に視力が落ちるなどの不幸が身に降りかかったとすると、その人の耳はたいへん敏感な耳に変身することになるでしょう。
音楽というと耳の感覚とすぐむすびつけて考えがちです。しかし次のことは聴覚ではありませんが、演奏上、音を判断する感覚の補助的な役割として重要な役割を担っているのではないかと思われます。
最近官公庁の建物の各所やエレベーターなどに点字の案内版がありますが、触ってみてもとても私たちには判別できません。指には点字を判別する能力など備わっていませんが、敏感な指先の感覚を訓練することにより、文字の判読が可能になります。先の例は聴覚、そしてこれは触覚です。その他に〈算盤の暗算〉〈大工、職人の手先の勘(感覚)〉〈歯科医、外科医の指の器用さ〉〈レジ打ち、ワープロの打鍵〉等。
各職業の一端をいいましたが、そこに訓練された能力とそれぞれ経験によって培われた勘があります。
私たちは普段の生活において発揮している感覚を分析しませんので、もちろんその自覚はありません。常日頃さまざまな感覚を知らずに発揮し、また知らず訓練しながら生活しているわけですが、一つの感覚だけを無くしてもたいへんなことになります。
人間の能力の広さをよく表わしていると思いますが、述べたそれらの感覚は演奏においてもたいへん重要な働きをしていることは事実ですし、また反対にこれらの感覚に惑わされるということがあるから音楽はやっかいです。私たちは音感が「良い、悪い」といって論議したり悩んだりすることがありがちですが、一言で済まされる感覚ではないことは確かです。
先の固定音感、移動音感以外に、音楽で使われていると思われる音感の類の幾つかを挙げてみます。
1.骨振動を避けて自分の音を判断する感覚。
2.大きな音の中から自分の音を聴き取る感覚。
3.ハーモニーを聴く感覚。(含む調律師)
4.音の種類に敏感な感覚。(含む倍音)
5.指などに伝わる振動を判断する感覚。
6.音の粒を聞く感覚。 7.唇の振動の感覚。
8.体感上の感覚。(息の通り、弓摩擦、指などの感触)
大まかにあげましたが、特に本論の理解に役立つと思われる1,2,3の3例について詳しく述べることにします。他の4~8に関しては〈7章2節〉を参照して下さい。
1.‘骨振動を避けて自分の音を判断する感覚’
私たちは普段何の疑いもなく自分の声を聞いています。自分の声は間違いなく自分自身が一番多く聞いているわけですが、自分の声を世界で一番知らないのは、実は自分だということもできるのです。
録音した自分の声を自分で聞くと、とても締まらないだらしない声に聞こえるはずです。そのテープレコーダーの自分の声を他人に聞かせた時「普段の声と少しも変わらないよ。」といわれ、大きなショックを受けたという、そんな経験を持っている人も多いでしょう。
私たちが普段聞く音は振動が空気に伝わり、音波となって自分の耳に達しますが、自分の声は自分の声帯で発するために、空気振動の他にも直接頭骸骨を振動させ、鼓膜に達するカン高い音がかなりの割合含まれてしまいます。骨は固いために高い音をよく通します。そのために自分で聞く自分の声はかん高く聞こえるのです。それを骨振動と呼んでいます。それに対してテープレコーダーへは空気振動のみの音声が録音されるので、だらしのない、締まりのない声に聞こえてしまうのです。しかしテープレコーダーの再生音は、自分が発声して自分の耳で聞く声より、はるかに正確にとらえているはずです。声楽はもとより、管、弦楽器にも同じ現象が起こります。
楽器を吹いた時、骨振動がどのくらい起こるか、簡単な実験方法〈→妙薬3〉を与え、聞き取り調査をしてみると、クラリネット、サックスで50%、他の管楽器は30~40%、弦楽器も40%位骨振動が聞こえると答えます。因みに骨振動の音はそれはかん高く、ザラザラした実に不快な音なのです。自身で聞く楽器の音は空気振動以外に、そのたまらなく嫌な音が、常に骨から伝わって来ているわけです。
(1図)
ーーーーーー➡*妙薬1=骨振動は楽器を
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ーーーーーー➡*妙薬2=実(げ)に恐ろしきはセンスなり!
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ーーーーーー➡*妙薬3=骨振動の実験
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a-2.大きな音の中から自分の音を聴き取る感覚。
合奏などではトランペット、トロムボーン、打楽器などの楽器が大音量で鳴り響いているわけですが、小さな音量しか出ない木管楽器の人たちも、その中で聴き取りにくい自分の音を正確に判断していなければなりません。しかし混ざり合っている音の中では自分の音を聞くことは容易ではありません。ましてや力仕事をすると耳が遠くなるという生理現象があるように、管楽器においても力む程に耳は遠くなってきます。生理的、精神的極限状態に陥ってもなおかつ冷静さを保ち、自分の演奏を判断していなければならないわけです。
a-3.ハーモニーを聴く感覚。
次に音楽で使う感覚から少し離れた特殊な耳を持っている調律師を例にとります。
同じ音程の音を同時に出した時に“うなり”が生じなければ振動が合っているわけで、そのときの状態をいわゆる“音が合っている”↓とい言っています。
-------➡--脚注------現在の楽器は
一秒に一回の音の‘うなり’が出る場合は、その両者間で1Hz(ヘルツ)の誤差があることになります。この‘うなり’はビブラートのように、とても大きく音が揺れるので、誰でもはっきりと確認することができます。ギターやチェンバロの撥弦楽器、又は打鍵楽器のピアノよりも、持続音が出る管楽器では‘うなり’が顕著です。合ってない音の場合ほど‘うなり’が多く(汚い響き)、一秒間に何百と起こる半音、全音違いなどはその典型です。
2秒間に1回位の‘うなり’は一般の人でも、真剣に聞けば何とか判断できますが、調律師は5秒間に1回起こる長い周期の音の‘うなり’を判断しています。器楽の中でも弦楽器の人たちは割合音程に敏感ですが、この5秒間に1回の‘うなり’を聞き分けるという芸当は、音楽家にとっても非常に難しいことです。それどころか、もし調律師のような感覚の耳で演奏したら、合わない音の洪水のために、音のノイローゼになって音楽を辞めざるを得なくなることは請け合いです。〈→追旨2=振動数と楽器の関係〉
音感が優れている弊害
必要以上の優れた音楽的センスと自分に対する厳しさ、そして高い分析力の耳を持っていると、自分の描いた音楽的イメージ通りに演奏できず、自ら墓穴を掘っていくということが音楽の世界には“よくあること”です。
もし人並外れた感覚の持主が中学や高校などの演奏団体の中に在籍したら、即座に音楽嫌いになってしまうでしょう。専門家にしても、そのために自分を落し込んでしまうならいっそうのこと、音感や音楽的欲求やセンスなど“無い方がよい”ということにもなるでしょう。ですから‘よくも悪くも’音楽的欲求の少ない者の方が音楽家として生き残っている、という可能性も十分あるのではないかと思います。心当たりがある方もいるでしょう。
一般的には音感は優れていた方がよいと考えられがちです。しかし調律師のように、ある種の音感ばかりが人並み以上に優れていた場合もそうですが、先に挙げた骨振動のように、ある種のたった一つの現象の理解に欠けていたために不幸を背負ってしまう、ということは特に多くみかけられるのです。音楽は時間とともに消え去ってしまうため、特に自己診断が難しい芸術だといえるでしょう。そのためその道程における自分の欠陥は“三つ子の魂百までも”の諺のごとく、センスとして蓄積され続けてしまうことになります。
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ーーーーー➡*妙薬4=音感についての誤解・音楽的欲求は低い方が?
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一方これとは正反対に自分は音痴ではないか、あるいはリズム感覚が悪いと思っている人もいるかもしれません。初心者の段階での問題や悩みのほとんどは慣れないため、訓練していないために起こることが多いものです。
演奏ではあらゆる神経を総動員しているわけですので、何か特定の感覚に神経をとられていると、うまくいかなくなることは当然です。
普段のわれわれの生活の中にも同じ事が起こっていて、それは気付かずにいるだけなのです。自分は音痴、と思い込んでいること自体も錯覚かもしれません。
事実カラオケが普及した現在では‘5度音痴 ’↓という言葉を聞くこともできなくなりましたが、それもそのよい例です。むしろこの五度音痴は倍音に敏感だということもいえるでしょう。
-----------➡-脚注-------------- 楽音を含めて
-----------➡-脚注--------------人間の可聴範囲は20Hz〜〜〜
演奏者は自分が出している音すら正確に判断できない状況の中で、よい音を追及し、あるいは要求され音楽を作らなければならないのです。指導者が「よい音」「音楽的な音」「音程合わせ」を要求しても、その根は複雑で単純にかたづく問題ではありません。それでも生徒たちはその要求に必死に答えようと努力して、結果的には音楽らしきものを作り上げてしまうのです。それが正しい楽器演奏法から生まれた演奏か否かを十分考える必要があるでしょう。述べてきたこれらの現象は管、弦、声楽のいずれにも常に付いてまわっているもなのです↓。
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ーーーーーーー➡*妙薬5=倍音(響き)の少ない音を好む日本人
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一般的には‘音感イコール才能’のように思われてきましたが、演奏ではこのような複雑な現象が常について回っているのです。音楽は耳を中心にして判断をしていますが、一般には音楽で使う音の感覚全てを音感といっている場合が多く、感覚というより‘音感という感性’的意味合いを強く受けます。その意味から音楽で使う音の感覚は、味覚を除き、人間の感覚の総合を意味しているということになるでしょう。
この項で述べた音程を含めた音の感覚の問題は、文化論的意味合いが強く、その感覚の原点を解明し、いかに対処すべきか、という問題は本論で展開しますが、これらの詳細は第7章、追旨2及び3に記載してあります。
C〈解決の糸口はこんなところから〉
=ピアノの運指は4兆、トロンボーンは=
a.運動神経と音楽性の関係
運動神経がよくなければ楽器はできないのではないか、という疑問を感じる人も多いでしょう。
ある日、音楽仲間と天気のよい日、暇をみつけては時々ソフトボールをやりました。仲間の打楽器奏者の一人に、ラテン楽器をやらせると魚が水を得たような演奏をする人がいました。この人の運動神経がよくないことは皆はある程度知っていましたが、そのゲームの最中、彼の真正面に上がった球を自分の額で受けて、救急車で運ばれるという事故が起こりました。真正面に飛んでいった偶然もさることながら、なんと次のゲームでも絵に書いたように全く同じことが起こってしまいました。もちろん二度目は救急車の手配が速かったのはいうまでもありません。
それほど運動神経の鈍い人ですが、打楽器をやらせると同じ人かと疑りたくなるほど勘がよいのです。反対に運動させると運動神経のかたまりと思える人が、演奏させると全くリズム音痴だ、という人に出会うこともあります。
私もかつて先生から「運動神経の悪い奴は音楽の能力もない。」と怒られ、ひどく落ち込んでしまった覚えがありますが、これらの問題は慣れや取り組み方など、経験によるところの問題も大きく関係していますし、また実際何を指して運動神経というのかも不明です。
この事例からも運動神経とリズム感、そして一般にいう楽器のうまさ(適性)と運動神経との間に、世間で信じられているような相関があるとは思えません。運動神経と演奏のリズム感覚とは直接関係していないと思ってよさそうです。
☆☆☆
また肺活量と管楽器の関係も誤解されやすい問題の一つです。管楽器奏者の肺活量は多い方がよいと一般には考えられています。しかしそれならプロレスラーや相撲取り、陸上競技や水泳の選手が最も管楽器に向いていることになります。楽器の種類にもよりますが、確かに多い方が有利な楽器もありますが、反対に多すぎるとかえって息が余ってしまって邪魔になる楽器もあります。もちろん少なすぎても困ることになります。肺活量と上達の速度との間には直接的な相関はあまり認められず、むしろ積極性、演奏方法、そして‘日本人の音楽の感じ方などの習慣と方法の問題’の方が、大きく関係しているのではないかと思われます。詳しくは追旨1《呼吸》で述べることにいたします。
b.行進できないクラリネット
上記と似たような現象ですが、入場行進の時に音楽に対して右左反対の手足で歩いている姿をよくみかけます。緊張のためか同方向の手足が揃ってしまう人すらいます。プロ野球選手や国際選手権大会などの日本人選手団の中にも時々いるから驚きです。
吹奏楽はパレードなどでマーチを演奏して歩くことがありますが、その演奏している曲に足が合わない人がいます。単に曲に合わせて歩く場合と演奏しながら歩く場合とでは状況は異なりますが、演奏者自身が自分の演奏に足が合わせられないというのも妙な話しです。しかしそれは笑い話しでは済まされなかったのです。私自身も合わすことができなかったのですから。
そしてその歩けない人の割合はクラリネットが8〜9割
サックス等他の木管楽器で3割、フルート1〜2割
金管楽器でも2〜3割に達します。弦楽器にもいますし、信じ難いことに打楽器にもいます↓。しかし歩けない人は比較的に熱心な者や歌心を持っている人にも多く見い出すことができるのです。
この歩きながら演奏ができるか否かは素質と呼ばれるものなのでしょうか、音楽性と関係するのでしょうか、リズム感なのでしょうか、それとも歩くことなので運動神経と関係することなのでしょうか。
-------------------➡脚注---上記データーは-------
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c.簡単でいいですね、クラリネットは
音楽大学には教育科といって、音楽教育者を養成する学科があってピアノと声楽二つを専門科目にして勉強します。その他に副科といって、管、弦、打楽器の中の一つを専攻し1〜2年勉強します。今から14~5年前の事ですが、当時私も10人程、副科の学生を受け持っていました。殆んどの学生はピアノ以外の楽器は初めての経験です。そんな学生たちが、興味津々に楽器を選択します。
「ピアノに比べれば簡単よー」と思っていたかどうかは判りません。確かにピアノと比べれば、どの管.弦.打楽器も小さく、見るからにメカニックは単純です。おまけに管楽器は単音で終始すればよいのです。ピアノと比べて簡単に思うのは無理もないことです。しかし3、4回目のレッスンで、皆一様に「こんなはずじゃなかった」という顔をします。と同時にその学生たちの管楽器に対する考えが一変することになります。
ある日、その副科の学生5.6人が‘ピー、キャー’とすさまじい音を発しているレッスン中に、クラリネット主科の学生が女性のピアノ伴奏者を伴って入ってきました。順番待ちのためにしばらくの間、副科クラリネットのレッスンを見ていましたが、順番になり、伴奏者がピアノに向かって歩き始めました。すると何を思ったか急に立ち止まって、突然、
『先生、クラリネットは同じ指ですか』、という質問をして来たのです。
一瞬何のことだろうと思いましたが、ピアノでは両手で和音を出しながら指を移動させるので、運指がたいへん繁雑になるけれど、それに比べてクラリネットは同じ音はいつでも同じ指使いですか、という質問なのだろう、とすぐに思い当たり
『ああ、そうだよ』、と答えました。すかさず彼女は
『簡単でいいですねクラリネットは』という返事を返してきたのです。
音楽大学の学生のいうこととは思えず、私は「またか!」とうんざりとさせられ、一瞬答えに詰まりました。
これを聞いていた順番を待っている学生たちは、一触即発の会話に行く末を案じるかのように、私の顔と伴奏者の顔を見比べていました。しかし怒るとかえって面倒なので、私はできるだけ平静を装いながら
『ああ簡単だよ』、と答えました。
待っていた学生たちは下を向いたまま肩を揺すって笑いをこらえていました。
そしたらまた『じゃ、すぐに上手くなれますねー!』といって来たのです。一転、学生たちは「ついにいっちゃった。さあたいへんだ」といわんばかりに顔を強ばらせ、私の方を上目づかいに覗いていました。
しかしここまで来たらこっちも威勢がついていますから、すかさず
『ああ、わけない』と言い返してやったところ、学生たちは、手で口を押さえながら凄まじい勢いでドアの外へと逃げて出してしまいました。ドアの外では、おそらく数ヶ月前の自分を思い出しながら笑いころげていたに違いありません。
この伴奏者が後ろ向きにピアノに向かう途中の、たった十数秒程のでき事でしたが、質問をしてきた伴奏者は部屋の中で何が起こっていたのかはまったく知らない様子でした。私はこの低次元の質問にすっかり気合いを無くしてしまいましたので、彼女はクラリネットの生徒とともに短いレッスンを終えて出ていきました。
私は学生たちの対照的な様子があまりにもおかしかったので、その時の細かな様子までが今でもはっきりと目に浮かぶのです。
d.トランペットは指をさらい、トロンボーンは腕を!
その半年ほど後、金管楽器の男子学生2人を連れて、高校に教えにいった帰りの車の中でのでき事です。一人のトランペットの学生が『学校へ帰ればまだ指さらえるな・・・。』
私は『何、金管も指さらうのかい?』
“いったい三本の指を練習する必要があるのか”と一瞬不可解に思えたからです。(トランペットはピストンがたった三本で、しかも木管楽器にくらべ早い動きが少ないと考えたため。)
学生は『そうですよ。指さらわなくちゃ動かなくなっちゃいますよ。なあー!』とトロンボーンの学生に同調を求めました。トロンボーンの学生は『そうですよ。』
私はトロンボーンの学生にはからかい半分に『何、トロンボーンは腕さらうのか!』
トロンボーンの学生は『そりゃー・・・』と憮然としてました。
その頃、楽器の難しさと運指との関係に、漠然とした疑問を感じている時でしたので、「クラリネットの煩雑さからして、三本の指をねー・・・!」と釈然としなかったのです。
ある日「運指の数を計算できないかな」と、単なる興味も手伝って電卓を片手に計算をしてみました。粗っぽい計算ですが目安にはなるでしょう。
指の難しさは音が移行するために生じるので、音の移行を3つと考えて指の組み合わせを計算しました。(ドレド、ドミド、ドファドのように全音域の運指の数を単純計算した。)
トランペットの場合512種類。(トロンボーンを除く金管楽器は構造から察してほぼ同じ程度と考えてよいでしょう。)
〈追旨2-1b=音のタイミング〜、に関連記事〉
フルート、オーボエの木管楽器が4万5千位。
ファゴットは音域が広いので5万強。クラリネットを計算したら、予想通りやはり多く7万種類ありました。「なるほど」、と自分の楽器のことをひいき目にみて「これではクラリネットは他の楽器より運指が難しいわけだ」と安心したわけです。がその時ふと、先のピアノの学生のことが思い起こされました。
e.ピアノの運指の数は?
「ピアノはさぞかし多いだろう!」としばし考えていましたが、溜め息混じりで計算方法を探りながら、紙と電卓片手に単純計算を始めました。先と同じく、指の組み合わせと音の移行の3つの音にハーモニーの運指も合わせ、88鍵全部違う運指として計算していきました。
一通り終わって全部足していった時に、桁を間違えたか、と再びやり直しましたが同じ答えでした。累乗を使わなければ表せない天文学的な数字になってしまったのです。
この計算の中にはあり得ない運指も相当あるので、掛ける数を全部半分に半分に、と控え目に計算し直しても16兆という運指の数です。さらに控え目にして4兆↓。
-------------➡脚注-運指の計算方法は------
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こう考えてみると、先のピアノ伴奏者のいったことも一理はあったのです・・・。しかしその数字に圧倒され、反対にピアノ以外で指を使う商売を考えました。するとスーパーマーケットでのレジ打ち、また計算機やパソコン、ワープロなどコンピューターの打鍵などが思い浮かびましたが、これらも熟練すると凄まじいものがあります。ではこれらのキーボードとピアノとの運指を比較してみたらどうでしょう。
「楽器とは違うのでは・・・。」とひいき目にみたがるのは楽器をやる者の人情です。しかし指を動かすことにおいては同じ人間の機能なので、それほど違いはないはずなのです。
ましてやトランペットの三本ピストンを決まっている指で押すことと比べたら、電卓といえどもその繁雑さは比ではないでしょう。(トランペットのピストンの深さとバネの重さは考えに入れていません。)では電卓、ワープロなどのキーボード、レジスターなどと比べ、楽器の運指は何が違うかというと、リズムが決まってない事、そして音を判断しながらやってないということの2点の違いが挙げられます。
指の機能の事だけを考えると、少なくとも運指の数の問題が、管楽器の“主な障害ではない”ということが推測されます。
D〈演奏の難しさの正体は〉
=息の関係が!=
木管楽器は金管楽器の運指の数から比べると二桁近く多いのにもかかわらず、木管楽器の方がはるかに素早い動きが要求されます。しかしどの楽器も同じように指が難しい、といって表面上、指を動かすことの訓練に時間を費やします。
金管楽器からみれば繁雑な木管楽器の運指も、ピアノの運指の数から比べると八桁から九桁も少なく、ピアノからみれば木管や金管の運指など無いにも等しいかもしれません。
ではピアノ奏者は何で、そんなに早く指を動かすことができるのか。しかもハーモニーを連続して曲芸みたいに、という大きな疑問が逆に生じます。するとピアノと管楽器と弦楽器、それぞれの違いを探す必要が出てきます。
一つの理由には、ピアノは誰が弾いても音が出ること、すなわち物が落下しても、猫が鍵盤上を歩いても音が出る構造になっていることです。つまり基本的には音が用意されているわけです。(単音に於て猫が音を出したから、落下物だから悪い音、非音楽的な音ということはできません。)つまり初心者が音を作るということに管、弦、(打楽器)ほどには神経を使わないで済むことになります。ということは、
1.『音を作る』こと、に障害があるのではないか。そして前述した‘ワープロなどの打鍵’は一定のリズムの枠にはめる必要がありません。一方‘歩きながらの演奏’は厳格な時間があります。音楽を成り立たせるには正確な音程で音を出さなければならない。音色を考えなければならない。音楽的という感性も必要になり、さまざまな精神的抑圧がありますが、これら「音を作る」いうことに含まれます。
すなわち音を作ることに障害があれば正確なタイミングで音を発っすることは困難です。そのため時間とともに進んでしまう音楽に、常に後から追いかける状態となり、つまり音を発する困難さに加え、時刻という制約がさらに加わります。そのため精神的抑圧から抜け出すことができなくなります。これらを考えると時間の枠、すなわち
2.『リズムを正確に取らなければならない事』に何やら関係がありそうだ、ということが考えられてきます。
a.閉管の楽器と開管の楽器
上記2点を探ってみる事にしますが、前述した「歩けない」ということに何やらいわくがありそうなので、ここで話しを戻しまして、クラリネットになぜ歩けない者が多く、フルートに少ないのかを考えてみます。
まず管楽器では木管・金管という分け方があります。その他に開管・閉管という分け方もあります。開管という楽器は早くいえばクラリネット以外の楽器全てをいい、閉管楽器はクラリネットだけです。その原理の実験はジュースやビールビンに口を当てて吹き鳴らすことで簡単にできますが、想像するより低い音が出て意外に思った人も多いでしょう。それは閉管の原理で鳴っているからです。さらに開管が2,3,4,5〜倍の整数の震動をするのに対して、閉管では2,4倍の偶数倍音が出ずに、3,5,7〜倍の奇数倍の震動しか出ません。これがクラリネットの特徴ある音色の秘密なのです。
そしてクラリネットは他の楽器と異なり、1.5倍の震動を持つという物理特性によって、オクターブが違う指使いになってしまいます。
そのため同じ音でも音域が違えば別の指使いになってしまうのです↓。
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ーーーーーーーーーーー➡補説2=開管の楽器の原理は
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-----------➡-↑脚注-クラリネット以外、
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b.楽器の息の通り具合
このことからどういう特徴が出てくるかというと、
a)閉管楽器の特徴と思われますが、クラリネットではリードとマウスピースの間隔が、ごく接近して振動しています(再接近時は数ミクロン)。そのため息が非常に抜け難くなります。
b)一方ファゴットのリードはクラリネットのようにリードが密着せず↓、 半分位開いた状態(楕円で元のリードの形をほぼ維持)で振動しています。息の抜けが良いのは開管楽器(吹奏楽器)の特徴だと思われます。
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ーーーーーーーーーー➡補説3= c)他の特徴として、
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----------------➡----↑脚注=音響学研究会が
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以上のことから、(1)運指の問題と、(2)楽器の特徴と人間の心理に関するという問題、そして他の楽器に比べクラリネットは息の通りが悪い上に(息を通す基本的条件をつかみ難い。)、しかも本能的に演奏できないので、楽器奏法上、多くの問題と心理的葛藤を生み、それが形を変えてクラリネットの多くの者が‘歩けない’という表立った現象として現れるのではないか、という考えにひとまず達したのです↓。
-------------➡--↑脚注------------------
フルート以外の木管楽器は震動体にリードを〜
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*楽器奏法上の何らかの問題と心理的葛藤とは*
ピアノのすさまじいテクニックを考えた時、管弦楽器は遠く及びません。管、弦楽器はほとんど単音で終始しながら、なぜピアノほど自在なテクニックを生めないのかという単純な疑問が出てきます。
ピアノは誰が弾いても音が出るような構造になっています。それに対して管、弦楽器は自分で作り出さなければなりません。音楽表現に於てリズムは共通の問題ですが、ピアノにおいては発音が自由なので、直接的にリズムの処理が障害を及ぼすとは考えられません。すると楽器を振動させるまでの途中に何らかの障害が潜んでいる可能性があります。ここではとりあえず管楽器に話しを限定してみると、管楽器はそれぞれ違った発音構造を持っていながら、音を息によって作らなければならないという一つの共通点があります。先に「音を作ること」時間枠に音をはめること、すなわち「リズムを正確に取ること」に難しさが関係しているのではないかと述べましたが、それらを考え合わせると、息と音(発音)を同時に(リズムのタイミングよく)処理をしなければならない点に管楽器の難しさの本質があるのではないか、ということが考えられます。
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ーーーーーーーーー➡補説4=弦・打楽器・ピアノは
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------------------➡--↑脚注10----------------------
フレット=ギターなどにある
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以下の各章では、これまで述べてきた現象や疑問を基に、障害の原因を考察し、それを一つの手がかりにして、人間と音楽の因果関係を詳しく分析していきたいと思います。特に第1章は難解かもしれませんので、初めは読み流して頂いても結構です。しかし演奏というものは1/100秒という時間の累積を扱うものです。たいへん微細なタイミングを必要とし、その発音の関係が楽器の障害、あるいは上達進度、そして一般にいう「音楽性」と称する音楽表現に重大な問題を起こすことになります。音楽の成り立ちを理解しなければ、問題解決の手段を生むことはできません。従って第1章の問題を省略してしまうわけにもいきません。しかしながら当面はそれらの関係を大雑把に理解して2章に進んで頂ければ十分です。
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以降本論では障害についての原因や対策を述べていくわけですが、その解決方法が楽器奏法の一般論とは反対の事が多いので皆さんはきっと驚かれることと思います。だからこそ、それが特効薬だということを念頭において頂きたいと思います。
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(脚注→ 本書で用いる(西洋音楽)あるいは(クラシック音楽)とは、19世紀以前の音楽およびその演奏を特に指していますが、その詳細については追旨2-7b〈語法とセンス〉を参照。)
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補説1=ヨーロッパやアメリカで有名でも、日本人にはまったく馴染めない演奏があることを意味しています。それらの演奏家のCDは入手困難であるし、来日もしません。その影響も手伝って、手に入るCD、来日演奏家だけが世界的な優れた演奏と思ってしまうことになります。
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*妙薬1=骨振動は楽器をよく響かせる(大きな音で演奏)に比例して増えますが、実祭には少し大きな音を出しただけでも骨振動だけが異常に増えている感覚におそわれます。
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*妙薬2=実(げ)に恐ろしきはセンスなり!
多くの人たちは(骨振動と)倍音に意識をとられるため、実際よりも高い音(ひどい場合はオクターブ上)を目指した息の入れ方になってしまっている場合が多く、その方法が楽器の吹き方やセンスと結び付き、本人の楽器や音楽に対する基本的な姿勢を作り上げてしまっている場合がたいへん多いようです。倍音が理解できたら反対に基音を聞く努力をすること、そしてさらに基音で音程を想像し、音の移行を行なうことが大切です。〈追旨3-8=ソルフェージュ-2〉
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*妙薬3=骨振動の実験
初心者に限らず意外に自分の音を判断できない人が多いのが実情です。まず自分の音を正確に判断させ、最も楽器に適した息の流れをもって、ふくよかな音量を作ることが楽器の上達の秘訣です。
1) 方法=耳タブを指で押して声を発し、自分の声の変化を確かめる。
2) 小さな音、大きな音で演奏させ、骨振動の割合や音色がどのように変化するか比較確認さする。(耳栓を使うか、友人に耳たぶを押えてもらうかするとよいでしょう。)
3) 指導者がこの現象を理解していることが大切です。
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---------脚注---------------
現在の楽器は標準調子(A=440Hz(ヘルツ)ラジオの時報の音)より高く442~443Hzに作られています。弦楽器、ティンパニーなどは張力で音程を調節します。楽器は温度湿度またはリード等によって音程に誤差が生じます。弦を使っている楽器は温度が高くなると下がり、一方管楽器は上がります。
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*妙薬4=音感についての誤解・音楽的欲求は低い方が?
音楽の欲求度と音楽技術の釣合が大切です。つまり音楽の欲求度というのは低くても困り物ですが、高すぎると自らを滅ぼすことになりかねません。そのため適度な鈍感さと横柄さも持ち合わせていた方がよい、ともいえるでしょう。音楽を長く続けたい、無難に続けたいのなら、音に対して適度にいい加減になること音楽に妥協できることも一つの音楽の重要な能力だ、といえないこともありません。
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------------脚注--------------------
楽音を含めて自然音には多くの振動が含まれていますが、順次響きの成分を減らしながら可聴音域外にまで広がっています。〈→追旨2-2=振動数〜〉しかし一般に想像するよりも倍音は大きく鳴っていて、第三倍音の12度上のソの音などでも、響く部屋では割合簡単に確認することができる程です。また管楽器は基音から倍音へ強制的に息の流れを変えて(第7倍音くらいまで)音階を作っています。
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人間の可聴範囲は20Hz(ヘルツ)から2万Hzといわれていますが、最も敏感なところはピアノの中心のドから上下2オクターブの合計4オクターブ位だと思われます。それから上下するほど判断し難くなります。そのためピッコロやコントラバスの音域は、“うなり”や体感的振動など、経験的にさまざまな感覚を総合して判断しているようです。人間の聴覚の特性としても理解できるところです。未知の楽器をいたずらしてみるのもよい経験になるでしょう。
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*妙薬5=倍音(響き)の少ない音を好む日本人。
感覚的要求(特に音色)をされたり、権威を押し付けられたりするとそれを受けた側は萎縮したり、慎重になったり、恐れの気持ちを抱いたりしますが、その要求に体を力ませながらも答えようとします。そのため控え目でありながら浪曲のような押し殺した歌い回しになり、結果的にますます骨振動分の倍音を削除した音になってしまいます。楽器の物理的な特性を考慮すると、それは自然な奏法とはいえないのですが、始末に悪いことにその不自然な音こそ、日本人のわれわれが好む音なのです。
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-------------------脚注----------------------
上記データーは、中学高校の吹奏楽の生徒、また専門家、管、弦楽器を実際に歩かせたり、また演奏を注意深く観察した結果です。この中には歩けても歩くことに不自由を感じている人も含まれます。また歩かせた時は学習効果を排除するために初めて歩かせたときのデーターをとっています。
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-------------脚注------------------
運指の計算方法は数式を掲載できるほどのものではありません。しかし例えいい加減なものでも多いか少ないかの比較が目的ですので、上記数字を参考程度に使う分には差し支えないものと思います。
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補説2=開管の楽器の原理は、弦の振動を例に説明すると判りやすいでしょう。弦を張り、その長さいっぱいで弾いた音に対し、半分1/2の長さにして弾くとオクターブ上の音が出ます。分母の数を足していくと自然音律という一本の弦から出る倍音が、また開管楽器の一本の管から出る倍音が得られます。1/3五度(ソ)1/4(ド)1/5(ミ)という振動になります。クラリネットの場合は基音(ド)の音に対してすぐ上の倍音が開管の場合の1.5倍、すなわち12度上の(ソ)の音になってしまいます。〈→追旨2-2=振動数と楽器の関係、12.13図を参照してください。〉
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------------↑脚注----------------------
クラリネット以外、木管楽器を含め他の全て楽器は開管の原理で鳴っている。また開管の楽器でもシステムに違いがあり運指は一様ではない。
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補説3= c)他の特徴として、開管の場合は圧力を上げると上の倍音(高音域)に移ります。このことは音が高くなるに連れて演奏者も聴衆も緊張が高まるため、心理と肉体の関係に一致しています。一方クラリネットでは高音にいくほど圧力を下げなければなりません。このことは開管の楽器に比べ、人間の自然な心理や肉体の関係に矛盾が起こります。
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------------↑脚注----------------------
音響学研究会が筑波大学で開催されたとき、井戸川徹先生の研究室においてクラリネット・オーボエ・ファゴットに人工マウスピースをつけ、コンプレッサーからの空気で機械的に楽器を鳴らし、ディスプレイで振動状態を観察するなどの実験を見学できました。さらに振動中・等間隔に二回続けてパク・パクとその口を閉じています。それでいて音に変化は無く、普通のファゴットの音として出ています。一方クラリネットは振動中マウスピースとリードの隙間が確認できません。その後人間の声帯でもファゴットと同じ現象を観察する事ができました。(この研究はどなたの研究であったのか資料を探しましたが見あたりません、あしからずご了承下さい。)
---------------↑脚注------------------
フルート以外の木管楽器は震動体にリードを使う。クラリネットとサキソフォンは一枚リード。(葦を平たく削った振動体)オーボエとファゴットは二枚リードです。一枚リードのサックスと2枚リード木管、金管楽器を含めて、開管の原理でできている楽器は息の通りがよい。ただしオーボエはリードが小さいため余った息を吐く、という呼吸法があります。また二枚リードの楽器の一般的特徴として(含むトランペット族)音の立ち上がりがよいことがあげられます。〈→追旨1-3=息が足りないという現象〉
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補説4=弦・打楽器・ピアノは息と音とが直接的に関係していませんが、同じようにリズムと息の関係が根本的問題を生んでいるのではないかと思われます。また弦楽器はフレット↓(脚注10)が無く、音階のポジションが不確定でありながら、正確な音程を出さなければなりません。そして管楽器の息に相当するボーイングを同時に行なうことになります。初心者の段階では管楽器同様、これら不確定な要素を同時に行うところに障害があるのではないかと考えられます。
--------------------↑脚注10----------------------
フレット=ギターなどにある音定位置を決めている金属の区切り板。
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